小説 川崎サイト

 

常識と既成概念破り


 常識を破れとか、既成概念に縛られるな、とかがあり、沢田はうっかり、それを実行してしまった。答えはすぐに出た。即だ。はじき返されるし、仲間はずれ。
 これはその寸前で何とか食い止めた。危なかった。
 常識を信じるな、というのもある。沢田はそれに従うと、何もかもが信じられなくなり、怖くなってきた。唯一信じられるのは常識を信じるなということを信じるだけ。これは付け焼き刃なので、信じることにしただけ。
 沢田にはそれなりの常識がある。頼りないもので、それが常識かどうかは分かりにくいが、それでも何とか備わっている。
 これも疑えとなると、野生の王国になりそうだった。やはり常識の縛りがあるから野蛮なことは出来なかったのだろう。
 ただ、常識を信じるな、疑えというのは非常識になれとか、反常識になれとかではなく、常識の範囲内での話。それにやっと気付いた。もう一寸で信用し、丸呑みするところ。鵜呑み。
 既成概念を破れとかも、これはやりたい放題にやっても良いということだが、沢田はそんな積極的な目的とかはない。普通に暮らせればいいのだ。
 沢田は既成概念に縛られる方で、素直に従っている。それがただの儀式だったとしても、それがまだ世間で通用している場合は、それに従う。その方が無難だ。それに既成概念を破らないといけないような用事や目的はない。
 既成概念を破るために破るのなら、掟破りが目的になる。
 既成概念は、昔からあるような概念で、約束事や決まりもので、既成概念であると同時に規制概念。これはしてはいけないとかが多い。
 沢田はそれらを普通に守っている。別に支障はない。
 沢田はアーチスト。
 その沢田の作品は常識破りで既成のものとは違う、妙な世界。
 ある日、そんな常識破りで既成概念破りの沢田は、その主旨を聞かれたことがある。
 沢田は常識通りだし、既成概念通りのことをしていると答えた。
 しかし、メチャクチャで野放図ではないかとさらに聞くと。
 昔からの既成概念で、無礼講とかがあるので、そこでは何をしてもかまわない。だからそれに従っているだけで、別に目新しいものではないと応えた。
 それで、常識を信じるなとか、既成概念を打ち破れ、などに熱中していた頃の作品は、普通の作品しか出来なかったらしい。
 よく分からない話だ。
 
   了


2022年2月7日

 

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