小説 川崎サイト

 

クチバシ


 気怠い感じがする。風邪でも引いたのかと高岡は思った。感じたり、思ったり。どちらが先かは分からないが、感じる方が先だった。
 特に支障はないが、元気がない。その気がないということだが、やる気だろう。元々高岡はやる気満々の人間ではないが、やるときにはやる。
 もの凄く良いことが先にあり、絶好のチャンスで、これを逸すると、もう来ないとなると、やるだろう。それを言い出すと誰でもかもしれないので、別にやるときはやるというのは珍しいことではない。
 しかし、気怠いので、今日は大人しくしておこうと考えた。思うだけではなく考えた。少しは深いのだろう。思うだけよりも範囲が広いような気がする。考慮というやつだ。色々と配慮して。
 と、大層に考えなくても、今日は適当にこなすだけ。それはいつものことなので、これも珍しくはないが、楽にできることが、少しだけしんどい。だから、よりペースを落とした。
 これはまだ動ける状態、仕事や日常のことは普通に出来る。出来るが、ぎこちない。そして楽しくはない。
 ただ、日常はそれほど楽しいものではない。それでもたまに楽しめることもある。しかし、楽しむのも元気がないと疲れる。逆になったりする。
 高岡はそれで移動中、ゆっくと歩いていた。仕事柄、住宅地をよく歩く。今日はゆっくりめなので、歩みも遅い。そのお陰で、余所見が出来る。ゆっくりなので、退屈なのかもしれない。
 すると黄色い梅に鳥が止まっており、梅の花を食べていた。鳥にとっての仕事とは、食べ物を見付け、食べることだ。そうでないと貧弱するだろう。
 まさに生きるために食べる。仕事内容も、ほぼ毎日それの繰り返しだろう。これが鳥のベースなのかもしれない。
 サボっている鳥は見たことはないが、目に触れるところにはいないのだろう。分からないようなところで、サボっていたりする。
 しかし、サボった分、食べるものが少なくなる。月給制ではない。
 それを見て、鳥も頑張っていると言うよりも当たり前のことを当たり前のようにやっているので、高岡もそれに見倣うことにし、歩を少し早めた。
 お得意さんの家がこのあたりに固まっている。さっさと回ることにした。
 しかし、鳥も調子の悪いときがあるだろう。元気がないときもあるだろう。それでも日々のことはやっている。
 これに関し、高岡は学ぶべきかどうかを考えた。鳥と人とは違う。
 人にはクチバシがない。
 
   了

 


2022年2月12日

 

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