小説 川崎サイト

 

犬参り


「このお百度石、犬が参っておる。この石柱から本殿まで、何度も何度も往復しておる。しかも早い。まるで狂ったかのようにな。犬とはいえ、神殿の前では手を合わす。いや、足かな。そういうものが見える」
 入道がそう言う。
「本当ですか」
「問題は狛犬。本殿に犬が近付いたとき、この狛犬が反応する。二匹おるだろ。獅子ともライオンともつかぬが犬とも言えぬ。神獣じゃな。犬も狛犬を警戒しておるようだが、何度も回るうちに分かったのだろう。石なので、動けんことをな。しかし、狛犬の呻き声が聞こえるのか、犬はやはり気になるようじゃ。石の響き。まるで地鳴りのようじゃが、少し軽いが」
「そんな犬は見えませんが」
「わしには見える」
「どうして犬がお百度参りをやっておるのでしょう」
「飼い主の代わりじゃろう」
「でも姿が見えませんから、犬の幽霊ですか」
「見た限り老犬。本来、散歩へ行くだけでも大変そうな大型犬。それが素早い走りをやっておるところを見ると、亡くなったのだろう。亡者ではなく亡犬」
「じゃ、忠犬だったのでしょうねえ」
「飼い主は参りに行けぬ体なのかもしれん。それを察して飼い犬が代わりにお参りに行く」
「え、飼い主の身が危ないので、犬が願をかけに行くのではないのですか」
「そこが難しいところよ。わしには老犬は見えるが、飼い主は見えん。何処の誰だかまではな」
「お百度参りする老犬。その願いとは何でしょう」
「飼い主の願いだろう」
「老犬が飼い主の病が治りますように、ではなく」
「そうじゃな。生きておる犬なら、有り得るかもしれんが、いや、いや、それも有り得んが、亡犬、幽犬は、飼い主の代わりに行くと決まっておる」
「誰が」
「わしの経験からじゃ」
「入道様は、犬の願いまでは分からないのでしたね」
「見えるだけでな、あとは想像」
「今も回っていますか」
「今は、水を飲んでおる。大きな犬なので、手荒いの石桶に顔を突っ込めるのじゃろ」
「入道様は犬以外にも、色々と見えるのですね」
「犬も見えるということ。犬は余計じゃが、この世のものではないものが見える」
「では老犬がお百度参りで走り回っている以外に、何が見えますか」
「流石、神社、ややここしいものはおらぬが、しかし」
「何かいると」
「ややこしいものが棲み着いておる」
「どこに」
「本殿の中」
「そこは神様が」
「この神社、参らぬ方がいい。たちの悪そうな悪神が主じゃ」
「じゃ、犬に伝えなければ」
「知らぬが仏」
「ああ、はい」
 
   了


2022年2月16日

 

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