小説 川崎サイト

 

忘備録


 今日は何があるのだろうか、と里村は思った。
 毎日、何かがある。それはあるだろう。あることはあるが、一寸違うことがいい。日記を書いておれば、これが一等で、メイン。
 いつもとは違う出来事や、その日、気になったことを書くはず。
 それで、日記のメインを書くために、今日は何があるのだろうかと期待しているわけではない。実は普段通りでいい。
 特に記するようなものがないほうが楽。昨日と同じようなことを書けばいい。もう暗記していたりするが、僅かな違い、僅かな言い回し方や、順番が違う。これはかなりのバリエーションがあり、同じことを語っているのだが、決して同じではない。同じにしたければ昨日の日記をコピーすればいい。
 実際にはコピーのようなものだが、それを書くときの気分というのがあり、これで違う文章になる。中身は同じだが。
 さて、今日は何があるのだろうだが、それを作ることも出来る。何か別のことをすればいいのだ。
 そうではなく、いつも通り過ごしているときに、すっと現れる出来事がいい。これなら創意工夫も必要ではない。それに対する労もない。
 そして、何かがたまに起こる。起こるべきして起こることもあり、もうその時期か、とか、そのタイミングになっているな、と思うこともあるが、そうではなく、意外なことが起こったりする。
 思っても見なかったこと。急に何処かが痛くなったり、急に出来物が出来ているとかに近いが、出来物のような出来事ではなく、それなりの出来事。
 少し意味がありそうな。普通に皮膚に出来る出来物も、それなりに意味はあるのだが、一寸した事件性があるものがいい。
 当然、世の中の出来事よりも、出来物が出来たことの方が重大だったりすることもある。
 そういうものも含めて、一日の中では必ず何か一寸した出来事がある。いつもと同じようで違っていたり、いつもなら、無いようなことが有ったりとか。
 偶然その日に起こったこととか。
 その気になって思い出すと、結構ある。
 里村はそれで「今日の出来事」というノートを作っているわけではない。一寸したメモ代わりのノートに、気になったことを書いているだけ。だから、今日の出来事を書くのだから、そうタイトルを付けてもいい。
 だがら忘備録。ただし、読み返さない。その必要が殆どない。
 出来物が出来たのはいつからだろうか、などを考えているときは、忘備録を繰るかもしれないが、繰っても治らない。それに何となく覚えている。出来物が出来た日までは覚えていないが、大凡の時期は分かっている。
 さて、今日は何があるのだろうと思いながら、寝る前になった。一日が終わったが、まだ日記を書く時間が残っている。それを書いている途中に何かが起これば、それは翌日に書くことになる。
 そして、今日の分を書いているとき、今日は何もなかったような気がした。メインがない。
 しかし、昼間、町に出たとき、ご当地インスタントラーメンを買った。知っている地方のものだが、ただの醤油味と味噌味。だが値段はいつも見かけるインスタントラーメンの倍以上する。
 それで迷ったが、買った。
 そのことがある。今日の出来事としては、生まれて初めて買ったラーメンなのだから。
 しかし、書く気がしなかったので、やめた。
 何かがその日、あるのだが、里村は書かないことも多いようだ。
 
   了
 
 


2022年2月20日

 

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