小説 川崎サイト

 

下田の意見


 下田は自分の考えがある。考え方だ。それはいつの間にかそう思い、考えるようになったことで、作ったものではない。
 お手本のようなものはあるが、それを作った人のもので下田のものではない。だから何処かで合わなくなる。
 だが、下田は自分の考えを言ったことがない。ビーフがいいかチキンがいいかを決める時、自分の考えというほどの大袈裟なものではないだろう。
 どちらでもよかったりする。ただ、今はビーフにしたいと思う時もあるが、これは別のところから来ているはず。考え込むようなことではないが、長い間思案する人もいるだろう。
 しかし、注文を聞きに来た人を待たせるわけにはいかないので、どちらかを適当に決める。このとき、発音しやすい方になることもあるが、自分の意見と言うほどではないだろう。
 ただ、ビーフよりもチキンが好きという理由が何処かにあるかもしれない。その逆も。いずれも今までの経験から来ているのだが、少し違うもの、あまり選ばない方を選びたいと思うこともある。これは食べ物の話ではないのかもしれない。
 どうでもいいのなら、どちらでもいい。勝手に決めて貰った方が楽だったりする。
 そういうことではなく、下田が持っている意見というのがあり、それは言わない。なぜなら下田だけに当てはまる話のため。
 だから人前で、それを語っても、理解して貰えない。それは相手が下田ではないためだ。下田だけに当てはまる話なので、それは言っても無駄。
 これが下田の意見だが、その中味は下田だけに当てはまるローカルなもの。他の人には当てはまらないし、普遍性もない。
 下田は意見を言う場に居合わせた時、困ってしまう。その時は全体の流れから、妥当なことを言って逃げる。
 決してそれは下田の意見ではない。本当の意見を言えばちゃぶ台をひっくり返すようになる。
 場にふさわしくない意見となり、それはもう意見とは呼べない。色々な意見の中の一つでもない。そこからはみ出している。
 黙して語らずなのではなく、語っても仕方のない話。誰も同調や同意、賛同はしないだろう。なぜなら下田にだけ当てはまる話なので。
 ただ、それは意見と言えるようなものであるのかどうかは分からない。誰も島田の本当の意見など聞いた者はいないのだから。
 
   了



 


2022年3月6日

 

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