小説 川崎サイト

 

石垣の寺


 町から少し行ったところに寺がある。のどかな村から山に入ったところ。
 町は小さな盆地にあり、城があった。山城ではないが、山にかかっている。今は何もないが、石垣が残っている。
 さて、のどかな村の先にある寺だが、こちらも建物はもうない。
 城下から村へ続く道は旧街道。しかし、その面影は何も残っていない。村から山間へと続いているのだが、山間を通って、この時代で言えば敵地と繋がっている。しかし、裏道のようなものなので街道の名もあったのだろうが、今は使われていない。もはや廃道。
 さて、そこに山寺があるのだが、丁度この町の外れで、昔でいえば領境に近い。
 廃寺だが、この前まであったのだろう。それほど古い時代に消えたわけではない。
 土地の研究家、これは町立博物館の館員だが、それを調べると、廃寺の石垣の組み方と、町に残る石垣だけの城と同じ様式。城の石垣の石は意外と小さい。寺もそうだ。
 寺は街道沿いの斜面に建っており、崩れそうなので石垣で補強しているように見えるのだが、結構高い。山門はなく石垣で囲われた入口。そして街道沿いに横に長く石垣が続いている。
 山門代わりの石垣でできたトンネルを抜けると階段が延びているが、上だけではなく、横にも伸び。さらに階段の途中にも、また石垣が積まれている。
 お堂があった場所は意外と狭い。斜面のためだろう。
 見たところ山寺だが、館員は出城ではなかったかと見ている。寺が城の役目をしていたことはよくある。
 その石の組み方だけではなく、攻めにくいような斜面にある。そして石垣が長くて高すぎる。
 この旧街道。敵が攻め込んできたとき、そこで防御するためのものかもしれない。
 寺が先なのか、出城が先なのかは、石垣を見れば分かる。最初から石垣で守られた出城なのだ。
 しかし、敵が攻めて来るかどうかは分からない。またこのあたりには古戦場はない。
 もしものために作っただけなので、そこに兵など入れなかったのだろう。石垣の上の斜面に寺を建て、偽装したのだろうか。お隣りの敵から警戒されないように、出城ではなく、寺。
 そうして出来た寺だが、ついこの間まで寺として機能していた。
 この寺を建てた領主など、江戸時代には既にその影響などなくなっている。幕府の直轄地となり、城も取り壊された。
 その後、この寺は宗派を変えながらも、それなりに続いていたようだ。
 石垣だけは見事だが、寺を運営するのは苦しかったに違いない。それで、禅堂として続いたようだが、寺の維持費が厳しく、廃寺にしたのだろう。
 元々、こんな場所に寺を建てたわけではないのだから、困る人もいなかった。
 
   了



2022年3月9日

 

小説 川崎サイト