小説 川崎サイト

 

春の憂鬱


 春めいてきたのだが、田中は憂鬱。憂愁といいたいところだが、春なので、秋ではない。だから秋の終わり頃の憂愁と同じものは春にはないのだろう。日が長くなり、そして暖かくなっている。冬の陰鬱な感じもない。
 だが、田中はこの時期が苦手。気候の良さが逆に憂鬱なのだ。春の明るさ、菜の花の黄色が目に刺す。眩しくてまともに見られない。あの黄色は見たくない。菜の花は夜でもよく見える。
 明るい季節の明るい花。それが気に入らない。
 冬の終わりがけの春の気配はいい。春になりきっていないので、まだ冬。その寒い時期に見る春の兆しは悪くはない。だが、春になってしまうと、春の花々が咲き、最後は桜が来る。この時期が最悪で、ピークに達する。
 寒い最中に見る梅はまだいい。しかし、桜はいけない。
 春の気怠さ、田中は颯爽とした動きにはならず。怠慢になる。
 だから、この春先を鬱陶しく感じるのだが、他に原因はない。ただの気候の影響。
 卒業式や入学式、入社式なども、桜の時期にある。この区切り方が気に入らない。断層がありすぎる。別の環境に持って行かれる。そのドタバタ加減がいやなのだろう。段差がありすぎる。
 そういう田中なのに、あるサークルの花見の幹事を頼まれた。他にする人がいないのだ。暗い人間ばかりが集まっており、田中はましな方。
 そんな暗い人達が、花見のような派手なことをする必要はないのだが、これは我慢比べのようなものだろう。このサークルのたちの悪い行事だ。
 しかし、安心していい。参加の意向を聞き、それなりに段取りをするが、酒や肴は持ち寄り。場所取りも当日に探す。
 そして、安心していいのは、全員来ないこと。しかし、田中は幹事なので、行かないといけない。何かの手違いで、来ている人がいるかもしれない。
 この幹事。今年で三回目。誰も来ないのだが、一応終わる時間までいる。これが地獄なのだ。
 見たくもない桜。そして、その明るさ。晴れて青空など出ておれば、最悪だろう。さらに満開になっておれば、気が狂うほど厳しい。
 今年も貧乏くじを引いて幹事になったが、木陰で居眠りをする事が多い。そしてコンビニで買ったオムスビを物陰でこっそりと食べる。このときは、気持ちがいい。この暗さで人心地着く。
 
   了

 
 


2022年3月17日

 

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