小説 川崎サイト

 

路傍劇場


 柿本は日常の中で、一寸変化しているもの。また、新たに現れたものを見るのを楽しみにしている。
 それは用事で移動しているときの道や、たまに行く散歩コースなど。いずれも家から何キロも離れていない。だから用事のある場所も、散歩で通る場所も隣接している。交差していたりするし、距離的にも大したものではない。
 しかし、ひとつ、道を違えると、新発見が多い。間を置いて行くと、その時間分の変化がある。下手をすると変化し、それがもう終わっており、何事もなかったかのようになる。
 毎日の用事で通る道は、その点、日々の変化に気付きやすい。ただ、午前中は変化していたが、午後からは終わっていたりすることもあるだろう。四六時中監視しているわけではないので。
 下手な観光地へ行くよりも見るものが多かったりするので遠くまで出掛ける必要はない。これで、柿本は出不精になったわけではないが、始終出たり入ったりしている。
 外出が多いが、それは日課。買い物とかの用事があるためだろう。その中には目的のない散歩もあるが、何もしたくない散歩。ただ目に入るものは見る。
 足は自転車で徒歩はない。途中で自転車を止め、歩くこともあるが、そのときは見えているものも詳細になり、またより細かい、
 道端を自転車で通過しているときには分からないが、座り込んで、覗き込むと、見知らぬ草の芽が出ていたりする。また、小さなゴミ、何かの破片だろうか。流石に虫眼鏡で覗くわけではないが。
 日常の中の変化。昨日なかっのに、今日は出現しているとになると、ビッグニュース。その殆どは柿本とは関わりのないことなので、路傍の観察者。
 そこで大きなことが得られるわけではなく、得をするわけでもない。また役立つことなど殆どない。
 また、路上観察のように、探す必要はない。目に自然と入って来たものをぼんやりと見ているだけ。
 だから、視界に入っていても、見ていないことが多い。既に知っているためだろう。ただ、変化があるとすぐに分かる。そのときは見る。
 この路傍劇場は自然の風景もあるが、人工物も多い。これはジャンルが違う。世の中にあるようなものが全部あるわけではないが、その片鱗程度は見え隠れしている。
 それにこの路傍劇場、柿本だけのチャンネルなので、その全体像は、たった一人で見ている世界に近い。
 しかし、そんなことを思いながら眺めているわけではなく、変化を楽しむ程度。ただ、観察者も変化しているようで、見るものが変わっていったりするものだ。
 
   了


 
 


2022年3月19日

 

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