小説 川崎サイト

 

大人しい人


 田宮は調子が悪いのでその日は大人しくしていようと思った。別に調子の良いときは暴れ回っているわけではない。
 それで、何もしないか、やっても地味なこと。疲れないことで、それなりにゆったりとした時間が過ごせるようなこと。
 遊んでいてもいいし、仕事をしてもいい。また、考え事をしてもいい。安静とまではいかなくても、大人しくしておればいいのだ。それに元気がないので、派手なことは出来ないだろう。
 大人しくとは大人らしくと言うことか、と田宮はふと思い付いた。子供っぽいことではなく、大人っぽいこと。合っているようで、少し違うが、子供もある年代になると大人しくなる。子供の頃に比べて。これを大人になるということか。体は大人になるが、大人しくなるとは限らない。
 確かに大人になると、世間のことが何となく分かってくる。世の中の事象だけではなく、自身についても分かってくる。それで、収まるようなところに収まる。
 子供のような無邪気さは消え、より現実的になる。出来ることと出来ないことが分かってくる。自身の限界とかも。
 それで身の丈に合ったコースを選ぶのだろう。無理をしても叶わないと知ったとき、無駄なことはしなくなる。
 少しは当てはまるような気がすると田宮は考えた。大人しく過ごすとき、結構地味なことで過ごすことが多い。
 そして静かにしている。静かな人は大人しい人となる。子供でも静かにしていると、大人しい子となる。
 だが、大人になったわけではないが、聞き分けのいい子のようなもの。子供のように駄々をこねないし、無駄な抵抗もしない。大人しく言うことを聞く。
 しかし、田宮はまだ一寸違うと思いながら、大人しいが大人になるになる線を考えてみた。
 確かに大人しい子は大人のような見えたりするが、ただ単に静かなだけかもしれない。静かなるアホウもいる。
 しかし、今日は勢いのあることができない。体調が悪いため。それで大人しくしている。
 では勢いのあることとは何だろう。元気に前進することだろうか。何に向かって。
 それで、勢いのない地味なことをやって過ごしていたのだが、これが案外落ち着く。それにやっていることは無駄ではない。何か良いことをしているような気がしてきた。
 それで大人しさもいいものだと思うようになったが、それが大人になるとは、まだ合点がいかないが。
 
   了

 


2022年4月8日

 

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