小説 川崎サイト

 

他人丼


 桜の花見は終わったが、色々な花が咲く頃なので、春の花見はまだまだ続く。
 春の草花、樹木の花も春に咲くものは、咲きそろっている。さらに初夏から咲くような花も、それに混ざる。
 吉田は桜の花見が終わっても、そういう花を見に行くので忙しい。桜だけが花ではない。
 その日も、この春、初めて見る花もあった。これを発見すると、楽しい。何か得をしたような感じがする。目が得をした程度で、実際に得るものなどないのだが、そこが花と実との違い。
 花を見ているだけ。その花びらを食べる鳥もいるが。きっと柔らかくて甘いのだろう。
 吉田はおやつで買っていた桜餅を食べたのだが、このときに葉も一緒に食べた。
 これは食べようと思い、食したのではない。剥がれないため。それで皮の付いたまま食べた。だが、口の中で、葉っぱだけが分離したようだ。その一部は喉を通ったはずなので、一応は葉も食べたことになる。
 柏餅の柏の葉は流石に硬い。これは団子を包んでいるだけなので、剥がしやすい。だから柏の葉は食べたことはない。
 さて、花見だが、この時期に咲き出す草花。近付いてみると、虫がいる。これは草にとっても必要なことだろう。虫はそれなりに草花に役立つことをしている。この花にはこの虫、と言う契約でもあるのか、特定の花にしか来ない虫もいる。
 その虫、どこから来たのだろう。近くでじっとしていたのか、その近くにいたのかは分からない。
 吉田はそれを見ていて、一つの植物は一つの植物だけで生きているわけではないことを知る。実際にそれを何度も目撃している。植物にとって虫が必要なのだ。
 吉田もそうだ。一人で生きているわけではない。何処かで人と関わる。当然だが、一人では産まれない。親がいないと。
 それで、草花は出来るだけ自生しているものを見る。いい条件なので、そこで根付き、花を咲かせたのだろう。その条件を少しだけ考えたりする。
 また、土の中には肉眼では見えないような虫がいるはず。これが色々なものを運んでいるはず。だから花びらに来る虫だけではなく、土中でも、それがおこなわれているのだろう。小さすぎて見えないが。
 人の場合はどうだろう。見えないほど小さなものが関わっているはず。ただ、外ではなく、主に内側にいるのだろう。お腹の中に。
 そこまで考えながら、春の草花や樹木の花などを見ていると、ぐっと立体感が出る。それらの花も単独では、そこで育ち、そして咲けなかったはずと。
 それを見ているとき、腹の虫が鳴く。
 虫が鳴いたのかどうかは分からないが、腹がすいたことは確か。
 吉田は、その近くにある食堂で、他人丼を食べた。
 
   了


 


2022年4月17日

 

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