小説 川崎サイト

 

好きだった


 物事の選択とか、判断とかは好き嫌いで決めることが多いが、それは隠しておかないといけない。
 結局はそこで決まるのだが、それでは偏りがあるように見られる。実際には全てが片寄っているので、それでいいのだが、それも隠しておかないといけない。
 判官贔屓というのがあるように、贔屓しているものの肩を持ちたくなる。勝負事なら勝たしてやりたい。それでは試合の解説者としては片寄りすぎているのだが、敢えてそういう人に任せることもあるだろう。
 偏りとか偏見とかは悪いこととして捉えるが、実際はそれが動いているのは確か。
 偏りとは片方に寄りすぎており、極端な状態に近い。一方に傾いているのなら、もう一方があるはず。両極端。その中間もあるが、真ん中は逆に難しく、そんなものはなかったりする。どちらかに寄った真ん中近く程度。
 中間とは固定した場所ではなく、振り幅。距離程度のことだろうか。振り幅が狭い場合は、両端も近いということだ。中間あたりで、微妙に揺れている場合は、ただの微動で、止まっているのに近い。
 この場合、両極端はないように思われるが、選択の幅もミリ単位だったりする。殆ど分からない。
 近藤は中間狙いの人だが、これは曖昧で、よく分からない人になる。決められない人。優柔不断で、物事を決める目安がないのだろう。何でもいいのだが、何でもでは良くない。やはり何かあるので、決められない。決めたいのだが、その決心が付かない。それでも中間派と呼ばれ、公平な人だと思われているが、実際には中途半端な人。
 そのため温和な人で、極言を吐かないし、極端な意見も言わない。言いたくても自信がないので、言えないし、言ったら最後、そういう人に見られてしまうのが嫌なのだろう。
 しかし、本音はある。決められないが、決まっている。それが好き嫌い。
 だが、これは弱い。客観性がない。個人の好み。それにそういう好みがバレてしまうのが嫌なので、黙っている。
 ただの好き嫌い、印象の良し悪し。たったそれだけのことで決めるのだから、そのことは人には言えない。
 しかし、その中に直感がある。間を飛ばして、一気に解が分かる。それは説明できない。そう感じたのだからそうだとしか言いようがない頼りなさ。
 だが、それがかなり効いているのだ。殆どのことはカンで決めているようなもの。
 これは近藤の個人的なことなので、人に説得したり、説明できるような話ではない。
 しかし案外、それが好きだったから、と言うのが最大の原因だったりすることもある。
 
   了

 


 


2022年4月19日

 

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