小説 川崎サイト

 

春の陽気


 何か気が抜けたような日がある。気が抜ければ、気を失ったのと同じだが、そこまでは抜けない。
 風船なら、少ししぼんだ感じ。自転車のタイヤの空気が減っている程度。これはまだまだ走れる。逆にクッションがいい。弾まないのでスピードは出ないしパンクしやすいとされている。
 間宮もそんな感じの抜け方で、少しぼんやり気味。普段のことは普段通りできるし、テンポも落ちていないのだが、何か張りがない。これは張り合いがないのだろう。だから張り切れない。
 しかし、張り切るものや、その気持ちも沸かないので、結構楽で、穏やか。だが、何か物足りない。
 晩春、眠い季節。暖房も冷房もいらない。そういう気候は眠りやすい。暑さや寒さが邪魔しないためだろうか。
 それと、物事を詰めて考えるのが面倒な季節。余計に眠くなってきたりする。
 この詰めの甘さもいいのではないかと、間宮は考えた。いや、これは思った程度で、深い意味はなく、浅いところを撫ぜているだけ。このあたりが気持ちよかったりする。
 考えを詰めない。煮詰めない。結論が出そうな手前ぐらいでやめておく。決定してしまえば、それが方針になり、実行しないといけないだろう。実行するために、考えていたのだから。そして出た結論。
 これが結構危ういことを間宮は知っている。なぜなら考えて出した答えのため。ちょっとした段取りとか方法を考えるのならいいし、そうしないと、どこから手を付ければいいのか分からないだろが、何かよく分からないような問題だと、解も色々あったりする。答えは一つならいいのだが。
 そのため、下手な考えになることもある。それなら考えなかった方がよかったりする。余計にこじらせたり、回り道になったりするかもしれない。それに、どの解がよかったのかは、後々にならなければ分からない。
 あのときの失敗で、先へ進めなかったのが幸いしたとかもある。
 気の抜けたような状態の間宮だが、結構そんなことまで考えているが、これはただの雑念だろう。真剣に向かい合い、真摯に考えているわけではないので。
 その程度のゆるい詰め方でも、少しは詰め寄っているのかもしれない。逆に押し返されていたりもするが。
 春の陽気。これは頭を鈍らせる。それがいい。
 
   了

 


2022年4月23日

 

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