小説 川崎サイト

 

至れり尽くせり


 至れり尽くせりのものは、もうそれ以上のものはない。しかし、至らず尽くせずのものは余裕がある。それは伸び代がまだあるからではなく、殆どそこで止まってしまい、それ以上の展開はない。
 だから、至っていない状態、尽くし切れていない状態と付き合うことになる。
 そういうとき、余裕のようなものを感じる。劣っているため、付き合う側が補ったりする。助けてやるのだ。
 ただ、それが面倒な場合もあるが、そのものに任せきれないところがいい。ここに余裕というか、関与できる余地がある。そのものは力足りずで、それ以上のことは出来ないので、諦めも付く。
 しかし、至れり尽くせりのものは素晴らしいが、この程度だったのかと、思うこともある。最善がこれかいという感じだ。
 この場合、頼っていただけにがっかりすることになる。また素晴らしいものなので、完全に任せているため。
 ところが、あるレベルに至っていないものは、何処までは出来、何処からが出来ないのが分かっている。任せられるところと、任せられないところが。
 そのため、あまり難しいことはしなくなる。これは逃げているのではなく、諦めているため。どうせ出来ないのだから、やっても無駄と。
 だが、少し手助け、工夫すれば、何とか行ける場合もある。
 完成度の高いものは、素晴らしいのだが、そこまで完成に近いとろこにまで至ったことで、愛でる。しかし、完成度にはきりがないので、それに近いだけ。
 ここまでよく出来たのなら、これも行けるだろう、あれも行けるだろうと思いがち。実際、難なくこなしてくれるので、至れり尽くせり。
 では、これはどうかと試すと、意外とこけてしまうこともある。もっと完成度の低いものでも失敗しないような失敗をする場合もある。
 弱点が殆どない。しかし、全くなくはない。そこが地雷。
 よく出来たものほど、簡単なことで失敗したりする。そういうことは起こらないはずなのだが。
 だから至れり尽くせりのものでも、それに近いだけで、過信は禁物。むしろ転んだときはショックだろう。これだけ優れたものが、どうして、となる。
 
   了

 


2022年4月26日

 

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