小説 川崎サイト

 

不動心


 冷静沈着、不動心。
 岩田贋造はその評判が高い。出来た人、大人の中の大人。しかし、地位はそれほど高くはなく、大物ではない。だが信頼性が高く、抜群の安定感。それだけでも値打ちだ。
 そんな岩田贋造に客が来ている。まだ若い武士だが、やり手とも切れ者とも言われている。将来が期待されている。
 振る舞われているのは普通のお茶。茶道ではないので茶道具もない。器にお茶が入っているだけ。しかも冷たい。麦茶が冷めたものだろう。
 その茶碗は長細い、片手ですっと掴めるように、細いのだ。
 作法はない。白湯とか水を振る舞われているのと同じ。好きなように飲めばいい。
 岩田はチビチビと酒でも飲むような仕草。これはたまに唇が乾くので、潤しているとか。
 客は聞きたいことが沢山あるのか、次々と岩田に尋ねる。その返答は曖昧で、答えないことも多い。だから聴いていても要領を得ない。この人は一体何だろうかと、疑いたくなる。
 不動心。心が動かない。つまり凍ってしまっている。これが不動心かと、客は皮肉を言いたくなる。
 しかし、僅かながら岩田は表情に出る。また言い方にも少し変化がある。冷静沈着でも、少しは強弱があり、震えがある。振動が。これはどうというほどではない。そこまでの変化ではない。
「多くの経験をなされておられますゆえ、是非お知恵を借りたいと思いまして」
 高い身分ではないが、その地位をずっと保ち続けている。色々なことがあったはずなのだが、不動の地位。その間をよく切り抜けてきたものだ。
 客はそれを知っているので、知恵を借りに来ている。
「経験など当てにならん。おそらくこうだろうというのはすぐに分かる。しかし、そうではないことをいつも頭に浮かべるのじゃ。毎回そうではないことにはならなかったが、次もそうだと保証できるものではない。だから、経験を当てにしてはならん」
「今回はどうなるとお考えですか」
「どうにもならんだろう。今までのようにな」
「では、動かぬ方が賢明と」
 心は動いても体は動かさない。実行しない。そうではなく、心が最初から動かないのだ。凍っているので。
「流石不動心。今回もそれですね。分かりました」
「今回もそうだとは言い切れぬ。だから動かぬだけ」
 逆に出たことをついつい考えてしまい、凍結するのだろう。
 岩田はそれで、色々なものを凌いできた。単に臆病なだけ、心配なだけかもしれない。
 
   了



 


2022年5月3日

 

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