小説 川崎サイト



視線

川崎ゆきお



 その席に座ると外が見える。
 交差点の一角にあるこの喫茶店は、私の家から一番近い距離にあり、仕事帰りによく来ている。
 その席に座ると、左側に窓があり、行き交う車や信号待ちする歩行者を眺めることが出来る。
 通りの向こうはワンルームマンションで、美容院やお好み焼き屋などが一階部分に入っている。
 私はその夕方も、コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていた。
 仕事場でのことなどをぼんやりと思い返しながら、視線は適当な場所を見ていた。
 視線の先が何かに当たる程度で、決して何かを見ているわけではない。上司の顔や機械部品などが目の奥で再上映されているはずだ。
 仕事が終わり、クールダウンさせるための儀式のようなものだ。
 目には外の景色が映っていても、それを見ているわけではない、中途半端な眺め方だ。
 パッと明かりが灯った。
 ワンルームの部屋だ。
 二階の端っこの部屋。
 部屋の主が帰宅したのか。
 バルコニーに出るガラス戸が開いた。
 部屋の天井が見える。
 そこに烏賊を干したような感じで、下着が何枚もぶら下がっている。
 私は悪いものを見たとは思うものの、喫茶店で少し斜め上を見たときに、自然とそれが目に入っただけで、覗くつもりはないのだ。
 私は視線をテーブルに戻し、コーヒーカップに口を当てた。
 あの角度は忌まわしいものだと思い、見ないようにした。
 身体に痛い箇所や痒い箇所があると、ついついそこに神経がいくものだ。
 それと同じように、ついついその角度を見たくなってしまう。
 別に無理な角度から覗き込むのではなく、少し視線を左斜め上に上げれば済む。
 私は意識的に見まいとしていたが、その意識に油断が来たとき、何気なく見てしまった。
 視線が合った。
 女は真っすぐ私を見ていた。
 顔も身体も私を向いていた。
 私は目だけで見たことに救いを求めた。
 顔も身体も正面を向いており、喫茶店内を向いている。
 ワンルームの二階から、私の黒目が見える距離ではないと思いたい。
 だが店内は明るい。
 私は黒目を見られていないと信じながら、その女を見た。
 女の背後には下着が吊されており、天井が見える。
 女は果たして私を見ているのだろうか?
 喫茶店を見ているのではないのか。
 あるいは喫茶店の前の横断歩道を見ているのではないか。
 私の思い過ごしかもしれない。
 数分経過した。
 女はまだこちらを向いている。
 私は店を出ようと考えた。
 そのとき、女が動いた。
 奥にさっと入った。
 そしてガラス戸も閉まった。
 信号が変わったのか、車が流れ出した。
 横断歩道前に何人か立っている。
 私は車の流れを見ていた。
 そして、流れの切れ間に、女がいることを知った。
 ちょうどマンションの入り口だった。
 女は降りて来たのだ。
 そして、私を見ていた。
 信号が変わり、横断歩道前の人や自転車が渡る。
 女もその中にいた。
 私は目が痛くなるほどの横目で、女を追った。
 女は喫茶店の窓の前には現れなかった。
 私は残りのコーヒーを飲み、水も飲んだ。
 伝票を取って立ち上がろうとしたとき、喫茶店のドアが開いた。
 
    了
 
 
 

          2003年10月31日
 

 

 

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