小説 川崎サイト

 

低テンション


 天野のテンションは今日は低い、感情の高低が少ない。幅が狭い。
 テンションの高さは良いことでも悪いことでも、調子に勢いがある。感情の上げ下げ、下がったときでもエネルギッシュ。より感情を露骨に出たりする。
 その意味で今日の天野は物静か。だが、見た限りでは単に元気がないような感じ。
 喜ばしいことがあってもそれほど楽しそうにはしないが、逆に悲しいことがあってもそれほど悲しまない。これは得なのか、損なのかは分からないが、楽しいときは損だろう。悲しいときは得かもしれない。
 それで、今日はどうしたのだろうかと、感情の起伏の乏しさの原因を考えてみた。思い当たることはないが、そんな日がたまにある。それで支障を来すわけではなく、天野に変化があるわけではない。それは見た目だが。
 この感情の起伏の幅をもっと縮めれば、無感情になりそうだが、感情はあるだろう。ただ、その反応が小さいだけ。
 しかし、その心持ち、心の持ち方だが、悪くはない。疲れない。
 無感情で無表情ではないものの、何か、しらっとした感じ。物事に白けてしまったときのようなものだろうか。
 しかし、白けているわけではなく、反応が低いだけ。また無気力ではなく、逆に気力はいつもより高いかもしれない。それが底の方にいるのだろう。表に出てこない。感情となって。
「天野君。それは悟りの境地だよ。危険だからすぐに戻しなさい。で、それで、今はどうなの」
「ああ、今は戻っているよ。昨日がそうだっただけ。でも途中から戻った。だから一日中ではないよ。長くそんな気持ちが続いたわけじゃない」
「そうだね。いつもの天野君だ。安心したよ。まさか悟ったのではないかと思い、心配したよ」
「あのまま行けば悟っていたかもしれないけど、元気がないときと同じようなものだったよ」
「そうだよ。気持ちが派手にドタバタするのは生きてる証拠。そのジェットコースターがいいんだよ」
「でも疲れるでしょ」
「その疲れもいいんだ。快い疲労感。そうやって発散することが生きているということなんだからね」
「若いのに、年寄りみたいなことを」
「こんなことはうんと若い青二才のときの方がしっかりしたことを言うものだよ。年寄りの方が青かったりする」
「それは知らないけど、最初から物静かで、大人しい人っているだろ。あれは悟っているのかなあ」
「何を持って悟りというのか知らないけど、天野君がはまり込んでいた状態に近いんじゃないのかな。感情の振り幅が小さく狭いだけで感情の起伏はあるんだ。まあ、生きている限り感情とか感覚から逃れることは出来ないから、生身の人間では悟れないだろうねえ。近付けるが。それでも街中で住んでいると駄目だろう」
「でも感情の起伏が狭い目のときはいい感じだったよ。長く続かなかったけど」
「原因は何?」
「さあ、分からない。あるんだろうけど、思い付かない」
「あ、そう。諦観とか、傍観とかもある。自身に対しても傍観。だから、まあ、適当でいい加減な生き方の方が安全なんだ」
「振り幅が狭くなったら、また振り直せばいいんだね」
「そういう事よ」
 
   了





2022年5月12日

 

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