小説 川崎サイト

 

内なる世界


 悪い状態が続いていても、何処かで流れが変わる。逆に良い状態が続いていても、何処かで流れが変わる。
 この流れは気持ちの問題ではなく、もっと具体的で、現実のもの。物理的な変化があればさらに分かりやすい。
 このままでは何ともならないと思う日が続いており、変化も殆どない。多少はあるが、悪い側での揺れのようなもの。
 しかし、それとは違う質のものが動くことがある。いい兆しのような。悪いことは悪いが、ちょっと今までとは違っていたりする。
 これは判断が難しい。迎え喜びになるので、楽観は許されない。期待しては駄目。
 その逆に良い状態が続いているとき、流れがちょっと妙なことになる。それでも良い状態で、振り幅の中でのことだが、ちょっと流れが違うように感じる。はみ出るような。これは悪い兆しではないかと心配したりする。
 何かが何処かで変わる。その前兆は確かにあるのだが、どう変わるのかは分からない。丁と出るか半と出るか。
 吉村はそんなとき、先へもう少し行ってみないと分からないと思うようになった。まだ、決め付けられないのだ。良いような期待、都合のいい期待をしてしまうため。実際には逆だったりする。
 だから、もう少し進んでみないと分からない。もう少し日が立たないと分からない。どうも確定しそうだと思えるところまで行ってみないと喜べない。
 その逆もあり、心配した前兆が、そうではなかったこともある。いずれにして、来るまで分からないが、来ていても分からなかったりする。
 先のことは読めないが、何とか読み取ることは出来る。しかし、それは想像だ。実際とは違うかもしれないし、予想通りのこともある。そこは曖昧。だから下手な予想や予感も当たっていたりすることがある。
 特に個人的なジンクスのようなもの。これが来るとあれが来るというような感じで、これこそ神妙性は何もないのだが、個人世界の中ではそう言う物語が出来ているのだろう。神秘性だ。
 この内なる物語と、本当の物語がぶつかる。内なる物語は、そこで書き換えられたりするのだが、話はそれなりに続いている。
 個人的な意見。この内なる物語やジンクスめいたものは流石に個人的見解以前のレベルなので、これは黙っているだろう。
 それに、そんなお伽噺のようなのを人に言っても通じなかったりする。
 その個人だけが知っており、理解しており、慣れ親しんでいる内なら物語世界。
 こういうのがその人の本質だとすれば、怖い話だが、幼稚なお伽噺だが、それが指しているものに何かあるのだろう。
 
   了

 




2022年5月16日

 

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