小説 川崎サイト

 

妖怪チョロノボリ


 初夏、まだ梅雨入り前だが、夏と変わらない。既に夏に入っているといっていい。
 その暑さで、妖怪博士は早くも夏バテなのか、昼寝をしていた。起きて何かをするよりも、横になっているだけでもいい。実際には眠っていないので、色々なことを考えている。
 しかし集中力がなく、すっと浮かんではすっと消えていく。奥への突っ込みがない。ただ、頭の中に色々なものが浮かび上がるので、散漫さもそれなりにいい。まるで散歩をしているような感じだが、舵取りはしていない。勝手に動き出している。それはまさに走馬灯の如く、といったものではなく、結構考え事をしているのだ。
 ただ、妖怪博士が意識的に考えを進めているわけではなく、勝手に考え出すのだ。ただ、そのときの言葉のようなものは妖怪博士のそれだが。
 そこに妖怪博士がいないようでもいる。また、主導出来ないのだから、妖怪博士はいないのかもしれない。
「いますか」
 遠くの方で、そんな声が聞こえる。聞き覚えのある担当編集者。玄関がガラガラと開き、入ってきた。
 昼寝中、泥棒でも入ってこられると困るのだが、盗られるようなものはない。
 妖怪博士はむくっと上体を起こし、ホームゴタツの前に座る。既に蒲団は抜いてある。ただのテーブルだ。
「昼寝中でしたか」
 見るからに寝起きそのものの顔なので、それと分かったのだろう。
 いつもの用件で、妖怪談の打ち合わせ。実際には催促に来ているのだ。
 テーブルの上に四百字詰め原稿用紙が乗っている。コクヨの安いもの。何処にでも売っているので、妖怪博士はそれを使っている。
 鉛筆書きだが、それが清書。
「チョロノボリですか」
 原稿は出来ているようだ。
 里山の道際にある草むら、そこに亀裂が入ったような、筋が走る。スジは動いており、すっと消える。チョロとした動きなので、チョロノボリ。これは川や池にもおり、水面にスジが走る。
 編集者はそれを読んで、「これは蛇か何かでしょ」
「いや、動きはチョロチョロだが、真っ直ぐな線。蛇や魚ではない」
「何かが動いたのでしょ」
「しかし、姿はない」
「草の中にいるんですよ。または水の中にいるんですよ。それなりの生き物が」
「いや、これは下ではなく、上にいるんだ。そいつが見えないだけ」
「空中に?」
「それほど高い場所じゃない。地面すれすれ、水面すれすれのところを移動する妖怪がおる」
「じゃ、風を起こすのですか」
「風だけは消せないのだろう。姿は消しておるがな」
「何ですか、その妖怪チョロノボリ。チョロそうな妖怪ですねえ」
「ある村に伝わる妖怪でな、幟もある」
「鯉のぼりのようなものですか」
「それの細いやつだ。もの凄く。それを子供達が竹竿に吊す行事もある」
「この原稿、もう出来ているようですが」
「そうじゃ。完成しておる」
 編集者は内容が気に入らなかったが、すぐに持ち帰られる。暑いときに、また原稿を取りに来ることを考えれば、これを受け取った方が楽。そちらの誘惑に負けたのか「じゃ、これで」
 と、鞄の中に原稿を入れた。
 編集者は、用を果たしたので、さっさと出ていった。
 妖怪博士はほっとした。
 昼寝中、浮かんだ話なのだ。そんな村などないし、そんな妖怪などいない。
 
   了

 



2022年5月26日

 

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