小説 川崎サイト

 

人が出てこない町


 町は人。人がいるので町。町があるので人がいる。人が先だと思われるのは、その町を作った人がいるし、その地を知っている人がいる。ここに町を作ろうかと。
 また、この道沿いに町を作れば、いい感じだろうということで、作ることもある。
 三崎町。何処かで聞いた地名だ。他にもあるかもしれない。しかし、島岡は三崎町を知っているし、よく行っていたことがある。通り道のため、寄り道で。
 また、イベントもあり、そういうことで行く機会がそれなりにある。だが、特に関係の深い町ではない。また用も殆どない。そこに仕事先や、それに関係する場所などがあるわけではないので、行かなくてもいい場所。
 町には色々な人が住んでいたり、そこで何かをやっていたりする。人相手に人が何かをやっているのだろう。店屋などがそうだ。客が来られないような場所に店は持たない。あるかもしれないが。
 町の思い出というのは人の思い出と重なったりする。あの町なら、あの人。この町なら、この人、という具合に、真っ先に思い出したりするかもしれない。
 島岡は、その、かもしれないの中には入らない。誰も知らないのだ。特に中崎町は。
 確かにある時期の店屋の人は知っているし、駅の改札に立っていた駅員も見覚えがある。それでは知っていることにならない。もう少し深くないと。
 しかし、町は人。とまではいかないが、町は風景とはいく。風景を覚えており風景に馴染みがある。中崎町といえばこの風景だというのがすぐに思い出せる。しかも複数ある。
 先ずは駅の改札だ。これは高架下にある。上に電車が走っている。ホームは上だ。そこを降りて改札を抜けるとき、外の風景が隙間から見え、それが眩しい。
 そして改札を抜け、外に出るとき、まるで洞窟から出るような感じで四角く囲まれた小さなフレームが徐々に大きくなる。
 この印象。それが中崎町。人ではない。
 町には人がいる。中崎町にも人がいる。だが、親しくした人など一人もいない。そういう関係にならなかったためだろう。
 積極的に接しておれば、親しくなれたかもしれないが、人とは出合うが、省略してしまう。人と話すのが苦手なのだ。とくに島岡は自分からは話しかけない。注文のものをいうとか、知らないことを聞くとかはあるが、それは交流という感じではない。プライベート性が低い。
 外壁の崩れかかった倉庫がある。それも中崎町の印象で、そういうのを思い出す。その倉庫、人よりも長生き出来るかどうかは分からない。
 町も長く行っていないと人代わりする。町が様変わりするように。
 町の印象。何に注目しているのかにより、違ってくるのだろう。
 
   了


2022年5月30日

 

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