小説 川崎サイト

 

寄場の爺さん


「徳山の理助さん?」
「そうです。探しています」
「この寄場にはいないねえ。在所も名も変えているかもしれないから、どんな人か、言ってみなさいな」
 裕次郎は似顔絵を見せた。
「御武家じゃないか」
「百姓に化け、徳山の理助で通していると聞きました」
「確かにこの人に似た人が最近ここに入り込んだが、どう見ても百姓爺だ。こんなお侍じゃない」
「髷を変えているかもしれません」
「あの爺さんは、もうひと月になるが、大人しく暮らしているよ。仕事の手伝いもして貰っているが、行儀が良いし、口の利き方も丁寧だ。やはり御武家だったのか。そうか」
「居場所を教えて下さい」
「船着き場近くに長屋があるんだけど、それよりもあなた何方で」
「その理助と名乗る者に縁がある者」
「縁なら、何処にでもある。どんな縁だい、身内かい。親戚かい」
「いえ、師匠筋に当たります」
「あの爺さんがか」
「はい、私にとっては師匠です。それだけではなく、多くの弟子を持っています」
「じゃ、良い身分の人じゃないか。どうして、こんなところにいるんだ」
「逃げました」
「何かしでかしたのかい。まあ、ここはそんな人がよく来るので、珍しくはないが、御武家とかはねえ」
「世は変わります。尊皇攘夷です。師匠は、それを説いた人です。師匠の時代になります」
「それなのに逃げたと」
「はい」
「どうして」
「中心になるのが嫌なのでしょう」
「その尊皇何とかの親玉だと睨まれるからかい」
「気の弱いお方ですから」
「事情は分かっが教えないよ。どの長屋に住んでいるのか」
「是非、お教え下さい」
「わしもこの寄場を仕切っている人間。ここに逃げ込んだ者は、お前様よりも縁が深い。それだけだよ」
「分かりました」
「簡単に引くんだなあ」
「人違いだったことにします」
「どうしてだい」
「私も、あの人に頭になって貰うのは気の毒なような気しますので」
「弱々しい爺さんだ、小心者だよ、あの人。そんな頭など務まるわけがない」
「そうでしょ。意見が合った」
「まあ、世の中が治まるまで、ここで暮らせば良い。あの爺さん、平和なときの人なんだよ」
「そうですね」
 
   了





2022年7月16日

 

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