小説 川崎サイト

 

嶺岡の穏やかな日々



 平坦な日常の中でも、一寸した起伏があり、デコボコがある。それも日常範囲内のことだが、その人により日常の範囲は違う。
 たとえば家事だけをやっているような日常は有り得ないだろう。それなりの用事があり、また突発的に起こる良いことや悪いこともあり、日常から少し外れこともある。
 嶺岡は淡々とした日々を過ごしているのだが、穏やかな日々だけではない。生きておれば起こるようなことは日常とは関係なく起こる。
 だから日常とはベースのようなもので、ほぼ毎日やっているようなことだろう。天気の変化などは日常内で、特に嶺岡に影響を与えたりはしないが、気分的には違う。ただそういう違いを言い出すときりがなく、それらを含めてまだまだ日常範囲内。
 嶺岡は頼まれていた用事をやっと果たしたので、その翌日から、そのプレッシャーは去ったが、これも日常業務のようなもので、よくあること。非日常なことをやっていたわけではない。
 プレッシャーが抜けたので、ほっとしたのだが、張っていたものが緩んだのか、何か頼りなさを感じていた。
 野暮用でも用事があり、絶対にやらないといけないことがある方がいいのだろうか、と嶺岡は考えたのだが、それをやっていた日々は、嫌で嫌で仕方がなかった。
 だからその日、やる分をさっと終えると、そのあとの動きが軽快で、囚われの身が解放されたような気分。
 これも、そういうものがあってこそで、何もない状態が綿々粛々と続くと、そういったメリハリもない。
 天気の様子で晴れなので嬉しいとか、雨なので、鬱陶しい程度。また食欲があるので、いいとか、その程度のことになる。
 しかし、用件が済んでいないときはは、早くこれを終えて解放されたいと思うもの。だが、その解放された気持ちよさは一日か二日ほどしか持たないようだ。
 良い事はすぐに忘れるが、悪いことはかなり尾を引くのか、いつまで経っても、それを思い出し、そのゾーンのようなものに囚われてしまう。
 しかし、始終そんなものを背負い込んでいるわけではなく、これもまた、いつの間にか忘れてしまうが、悪いことは長持ちするのは確か。
 嶺岡は解放感も終わり、平凡な日常を続けているのだが、用事というのは次々に発生するもので、次のが来た。これはもしかして望んでいたことで、自ら招いているのではないかと思うほど。
 それは冗談が、退屈していたときなので、いいタイミングだった。
 穏やかさだけでは、穏やかさは来ない。
 
   了




2022年7月31日

 

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