小説 川崎サイト

 

余計な時計


 竹田はいつも通る道筋に突き当たりがある、左へ曲がり込めるのだが、少しの間だけだが突き当たりに視線がいく。
 そこに古臭い家がある。長屋だろうか。その一部が見えている。
 見るつもりはなくても、正面にそれがあるので、前を普通に見ておれば、普通に目に入る。
 洗濯物が干されており、子供服がひらひらしているのだが、その横にドアがあり、その上に時計がある。
 丸い大きな時計だが、安っぽい。子供が見るために掛けてあるのかもしれないが、屋内からは当然見えない。また長屋の前でそこの子供達が遊んでいる姿など竹田は見かけない。
 だが、そこの子が家に入っていく姿は何度か見ている。そのとき、時計を見ることが出来る。外で遊んでいるときに、いま何時かと気にするだろうが、既に戻ってきている。出る前の確認で時計を見るというのもある。
 竹田は、この時計、ただの飾りではないかと思う。その証拠が一つだけある。鉢植えがあり、そこに樅の木が植えられている。小さい。テントウムシがいる。かなり大きい。甲虫よりも大きい。飾ってあるのだ。
 時計もそうではないかと、竹田は考えるのだが、それよりも、時計の針が進んでいるように思われる。もうこんな時間かと竹田は思ってしまう。
 しかし、それなら昨日も進みすぎている時計を見たことになる。その時は妥当な時刻だった。
 竹田はこの突き当たりの家で必ず見るようにしているのはこの丸い大きな時計。竹田は時計を持ち歩かないし、時間を気にする用事で、そこを通ってはいない。
 だが、戻りが遅くなるのは気にする。それでその時計を見て、今日は早いとか、遅いとかを確認する。
 時計が止まっているとかなら分かるが、一日で、そんなに進むわけがない。わざと進めたようには思えない。その理由を探す方が難しい。
 すると、進んでいるのは時計ではなく、竹田が遅れているのだ。出る時間を見ていないが、遅かったのだろう。
 それで時計が進んでいるように見えたのかもしれない。錯覚ではなく、ほぼ、この時計が示す時刻は正しいだろう。
 では、なぜ遅れたのか。いつものように過ごしていたはずだが、時間を気にせずやっていたので、長引いてしまったのかもしれない。
 何で長引いたのかと、その犯人を捜すと、調べ物をしていたのを思いだした。これだろう。これが余計だった。その分、この時計も余計に進んだのだ。
 それだけの話。
 
   了


2022年8月9日

 

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