小説 川崎サイト



耳成地蔵

川崎ゆきお



 それに気付いたのは近くの住人だった。
 夜中に妙な音が聞こえるのだ。
 郊外にあるその分譲住宅地は、最寄り駅まで徒歩で一時間。駅へ向かうバス停はあるが本数は少ない。
 この前まで田畑だった場所で、いつの間にか住宅地になっている。
 鎌倉時代からありそうな村落だが、村社会は崩壊し、稲や大根の代わりに、ちっぽけな家が密集している。
 住人が妙な音を聞き出したのは今年の秋からだ。去年はまだ家は建っていなかった場所。
 その音を聞いた家は数件だけ。
 その音は音色と呼んでもよい。
 そう聞こえるだけかもしれないが、お囃子が流れる感じなのだ。
 家の年寄りが詩吟を唸っているのかもしれないし、民謡のテープを聞いているのかもしれない。
 そのことを噂し合うようになったのは、主婦や子供ら。
 深夜、寝静まったとき、笛や太鼓の音が聞こえ、大勢の人々のざわめきがする。
 つまり、村祭りでもやっていそうな音なのだ。
 住人達は祭り囃子を発している場所を知っていた。
 そこ以外に特定出来ないほど明快な場所だった。
 それは石造りの小さな祠。
 住宅地の中に埋まり込んでいる感じだが、地下にあるわけではない。
 村落時代の遺産。
 そこは地主のいる私有地で、駐車場の奥からしか出入り出来ないが、その祠を取り囲んでいる数軒からは丸見えだ。
 駐車場は売れなかった区画でも更地でもなく、最初から駐車場だった。地主はその場所を売らなかった。
 駐車場は細長い。
 公道に接しており、一番奥に祠があるが、金網で仕切られている。
 住人達は分譲住宅を売った不動産屋に聞いてみた。
 不動産屋は農家からその土地を買ったが、駐車場は農家のものだと言う。
 しかし農地はどこにもないし、農家らしい家も近くにはない。
 住人達は、その農家を訪ねた。
 かなり離れた場所にあるマンションで、その農家の持ち物だった。
「聞こえますか」
 中年男は住民の代表二人に秘話を語った。
 祭り囃子は昔から聞こえていたらしい。
 その祠の中にはお地蔵さんが入っている。
 祠は石造りで、扉はない。
 開けるには石組みを外すことになる。
 封印されているのだ。
 狸囃子を鎮めるための装置らしい。
 狸囃子とは、何処からともなく聞こえてくる村祭りのざわめき音のようなもの。
 この装置でも完全に鎮めることは出来ず、数十メートル四方には漏れ聞こえるらしい。
 夏の終わりから秋にかけて、深夜だけ聞こえるようだ。
 昔は野中にポツンとあるため、農家までは聞こえないし、また田圃の中ほどにあるため、人が聞く機会は殆どない。
 夜中にそんな場所に来る人はいないし、その近くの畦道からでは聞こえない。
 地主の話はさらに続く。
 田畑が住宅となり、畦道も私道となったが、祠との距離があるため、狸囃子の噂はなかったようだ。
 住人代表は祠を取り壊せないかと聞く。
 取り壊すとかなりの範囲に聞こえてしまうと地主は答える。
 騒音問題になるほどうるさくはないし、音の主は人間ではない。
 木の葉が風で鳴るようなものだ。
 それは自然現象に近い。
 祠が消音効果となっている。
 昔、鎮守の森での村祭りが終わり、深夜畦道を歩いていると、祭囃子が聞こえるので、不思議に思ったらしい。
 祠のある場所は、この地主の田畑だが、長く耕しておらず、一寸した荒れ地になっていたようだ。
 旅の行者によると、人間の真似をして、狸達がそこで踊っているのではないかということだ。
 地主の先祖は悔い改め、耕すことにした。
 そして行者は祠を作らせ、石地蔵を納めた。
 作られたときは耳鳴り地蔵だったが、やがて耳成地蔵と書くようになった。最初から地蔵には耳がない。
 住人代表は、この世の話ではないようなお伽話にカルチャーショックを受けたが、実際に聞こえてくるのだから、この現象を否定出来ない。
 そこまで調べて分譲住宅を買ったわけではない。
 ローンの支払いも始まったばかりなので、引っ越す気も起こらない。
 とんでもない真実を聞いてしまった代表二人は、そのことを皆に話すことをやめた。
 世の中には知らないほうが善いことが多々ある。
 
   了
 
 

 

          2003年11月6日
 

 

 

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