小説 川崎サイト

 

お盆の夜


 暑いので、バテたのか、田中は早寝していた。扇風機の音だけが寝ないでよく働いているようだ。この音はフェリーで一泊したとき、大部屋で聞いた覚えがある。それに似ている。程良い揺れと、エンジン音。これが寝やすかった。
 扇風機が風だけではなく、その音に睡眠効果があるのだろう。一定の音。殆ど変わらないのでリズムとかはないのだが。
 田中は扇風機を少し離して風量を上げている。この方が音がよく聞こえるため。それ以上だと騒音になる。
 それで、寝てしまった。いい感じだ。
「俊一はおらんのか」
 夢の中で、そんな声を聞いた。しかし、それは夢ではなく、誰かが来ているのだ。俊一と呼び捨てに出来る人間は多くない。それに今の声は年寄りで、何処かで聞いたことがある。
「もう寝たのか」
「やはり、人が家の中にいる。隣の部屋だが、仕切りは外してある。だから、目を開ければ、誰だか分かるだろう。
「寝ておるのなら仕方がない。わしゃ帰るぞ」
 その、わしゃで、誰だか分かった。爺さんだ。しかし、かなり前に亡くなっている。
 それで気が付いた。隣の部屋には仏壇があることを。そして、今はお盆。これで見当が付いた。
「お爺ちゃん、起きてます。来たばかりなのに、帰らないで下さい」
「忘れておったのだな。仏壇に供え物もないし、提灯を毎年出していたではないか」
「忘れました。お盆はまだ先だと思っていたのに、もうお盆だった」
「まあ、いい。ここはわしゃの家、建てたのもこのわしゃじゃ。仏壇にはわしゃの父親や爺さんも祭ってある」
「たまに花を供えたり、水を供えたりしていますよ」
「そのようなことはせんでもいいが、お盆ぐらいは何とかせい。忘れるとはなあ」
「はい」
「まあいい。わしゃもここに来て分かったのだが、先祖はわしゃだけか」
「他のご先祖さんも、忘れているんじゃ」
「そうかもしれんなあ。婆さんは来ておらんし、わしゃの親も来ておらん。来ておるのは、わしゃだけか」
「では早速お盆をやります」
「いや、もういい。元気で寝ているのを見ただけでいいわ」
「いや、暑くてバテて、早寝していただけです」
「しかし、無事で何より」
「爺ちゃんも」
「これを無事というのかどうかは分からんがな。あっちから飛んでくるだけの元気はまだある」
「爺ちゃんもお元気で」
「俊一も無事でな」
「あ、はい」
 
   了





2022年8月17日

 

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