小説 川崎サイト

 

感覚


 感覚は間違えやすいし、錯覚とかもある。それはその感覚が起きた原因を探したりするためだろう。このとき、感じるのではなく、考える。思い当たるようなことが過去になかったか、とか。
 感じるだけでは問題はない。危険を感じれば逃げればいい。そう言う場合、考える前に逃げているだろう。
 地球は回っている。そんな感覚はない。地面が動いているとすれば、凄い振動とか、それこそ地震だろう。
 ただそれほどの動きではなく、地面が移動しだし、止まらなくなるようなことはない。いくら大地震でも。まあ、大陸も移動しているのだが。
 ただ、その地面。本当は回っているのだから、動いていることになる。地動説だ。これは説ではなく、実際にそうだろう。その前に天道説があったので、対にしただけ。
 日は西から昇り、東に沈む。日は昇るのだ。日が動いていることになる。これでは天動説だろう。しかし、平気でそう言っている。感覚の上ではそうなのだ。
 これで不便を感じることはない。普通に暮らしている場合で、そういう関係の仕事をしている人なら別だが。それでも日は西から昇るだろう。
 星は点にしか見えない。仁丹ぐらいの大きさだろうか。しかし、実際には地球よりも大きな星かもしれない。
 これも感覚的にそう見えるだけで、実際は違う。しかし、それで困るようなことがあるだろうか。北斗七星の中の下から二つ目の星が話題になり、問題になり、日々の暮らしにも影響し、詳しく調べないといけないような用事があるだろうか。
 普通の人にはないだろう。地球からの距離、その大きさなど、天文観察では必要だろうが、生きていく上で関わるようなことはないので、知らないままでも何ら問題はない。
 星はただの点だと思い、人生を終えた人が、不幸だという話はない。それを知らなくても、充分生きていける。そのことで生涯一度も困ったことはなかったりする。
 感覚は間違ったりするし、錯覚も起こすが、その中にデーター的には捕らえられないようなことを捕らえることもある。感覚と言うよりも直感だろう。
 これも間違いが多いのだが、その中で、たまたま当たっているものがある。また、そういうやり方でないとアクセス出来ないような、捕らえられないようなものもある。
 ゴミも多いが、宝も含まれている。
 感覚に意味を与えたり、理由とかを考え出すと分かったような気になる。分かりやすくなる。そのことで意味の網から漏れたものの中に、本当の何かがあったりするのだが、意味で割っていると、それが消えてしまう。
 といって感覚を信じすぎるのも意味を与えることで、同じことだ。しかし、感覚を信じるのではなく、感じるだけでいい。そこに余計な意味を与えないで、感じるがままでいいのだろう。これは結構難しい。
 感覚を研ぎ澄ませ、敏感になりすぎると逆に弊害。感覚は勝手にやってくるので、素直に受け取ればいい。
 その中に、非常にいいものがたまにやって来る。これはお伽噺だが。
 
   了






2022年8月18日

 

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