小説 川崎サイト

 

良い悪い


 調子の悪かったことがよくなる。これはいいことだ。すると、そのあと悪いことが起こる。だから良いことがあると、あとが怖い。
 これは下中だけのジンクス。従って普遍性はない。それに下中がそう感じているだけで、正確なものではない。何が良いことで、何が悪いことなのかがそもそも曖昧。客観的なものもあるが、主観的なものも多い。ただ客観視も主観。
 客観的に見るには、第三者がいるだろう。その第三者も主観で見た客観。
 さて、下中が考える、あるいは思ったり、感じたりしている良いことと悪いこととは何だろう。これは何となくそう感じるようなことから、実際に起こっていることもある。
 悪いことがあったあと、いいことがあるのだが、これはいいときにはそれほど目立たず、いいこととして認識していないのかもしれない。
 だから良いことが続いていても、そう受け取らないこともある。
 そして次に来る悪いこと、これはちょっと影が差しただけで、もう悪いこととして捉えたりする。縁起の悪さを感じるだけで。
 悪いことが終わっただけでも、いいことだ。それには悪いことが必要だったりするが、それは望まないだろう。
 悪いことが続くと、それに麻痺するわけではないが、多少のことでは、もういちいち感じなくなったりする。
 これは弱い目の悪いことの場合だが。弱すぎる悪いことは、悪い中でもいい方なので、いいことだというわけにはいかないが。
 しかし、下中は最近このジンクスに対し、本当に悪いことなのかいいことなのかを疑いだした。つまり、いいこととは何か、悪いこととは何かと。
 それに交互に来るのなら、悪いことがあっても次に来るのはいいことなのだからバランスが取れている。
 しかし、その次にはまた悪いことが来る。ただ、連チャンもある。三連発とか四連発。良いことが続くが悪いことも続く。
 その合計を計算すると、悪いことの方が多かったりすると、これはバランスが取れていない。チャラにはならない。
 だから、質だろう。一つの悪いことの質が高いと、これは数ではなくなる。この一つが効いており、多少いいことがあっても、チャラにはならない。
 それで、下田は良いも悪いもないのではないかというべき方向へ飛ばした。良いも悪いも投げ飛ばした。
 しかし、その後も、やはりいいことや悪いことはそれなりに意識し、やはり以前通りのジンクスに戻ったのだが、これもまたいいだろう。
 分かったような気になるよりも、曖昧なジンクス、迷信として、勝手にそう思っているというレベルで。
 
   了

 







2022年8月27日

 

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