小説 川崎サイト

 

妖怪いい鬼


 いい気候になってきたので、暑さがやわらいだためか、妖怪博士は散歩に出た。昼間だとまだ暑さがあるが、夕方、日が沈みかけてからなら、涼しい。
 たまには妖怪博士も近所をうろついているが、健康のための散歩ではなく、気晴らし。また、間を置くための無駄な間のようなもの。この間が大事だ。
 頭を切り替えられる。本を読んでいても、途中で中断した方が疲れにくい。
 散歩中、何かがあったわけではない。妖怪博士なので、妖怪が付きまとい続けるようなことはない。
 ただ、そういうのは、向こうから鴨葱のように背負ってやってきたりする。
 妖怪博士宅に近付いたとき、それがいた。玄関先に立っている。妖怪博士が戻ってくるのを待っていたのだろうか。
 どれぐらいの間、そこに立っていたのかは分からないが、近所の人がそれを見た場合、不審だろう。しかし、妖怪博士宅であることは近所の人は知っているので、またややこしい人が来ているな、程度の認識はある。
「いい気になるなと、そいつが現れるのです。絶好調で、いい気分の時に水を差すのです」
 客は紳士然としていたので、妖怪博士は奥の六畳に通した。しかし、紳士にしてはいきなり話しだした。前置きなしで。
「それで素直に喜んだり、笑ったり、はしゃいだりが出来ないのです、小学校の中頃まではよくはしゃぐ子でしたが、その後、大人しくなりました。それが出るからです」
「何処から」
「私の内からです」
「それには人格がありますかな」
「あります。私ではありません」
「それ以外の時に出ることはありませんか」
「ありません。有頂天になっているときとかです」
「その一点だけに出るのですね。どんな人ですかな」
「声だけです。形はありません。分かりません」
「声だけですか。どんな声です」
「私の声ではありません。また、何処かで聞いた声かもしれませんが、特徴のない声です」
「何歳ぐらいですか」
「中年以上。少し年寄りです」
「あなたの父親の声ではないのですか」
「違います。それに父はそんなことは言いません」
「そんなこととは」
「いい気になるな、と」
「はい」
「どうでしょうか。妖怪が憑いていると思うのですが」
「なぜそう思われたのかは知りませんが、まあ、それはよろしい。それでここに来られたのですな」
「そうです。妖怪名を教えて下さい。それで、今後の付き合い方が分かります」
「一点でしか出てこない。一つの事柄だけで。一つに事に凝り固まった妖怪。鬼のように。だから、これはいい鬼です」
「え」
「いい鬼」
「ああ、いいき」
「おそらくあなたは小学生の中頃までは無邪気にはしゃいだり、騒いでいたのでしょう。そして誰かから叱られた。調子に乗るな、とかいい気になるなとか」
「それはあったかもしれません」
「だから、いい鬼が出るので、無邪気にはなれない。そういうことですな」
「何か退治する方法はありませんか。出てこないような」
「いい鬼にしても、妖怪は退治出来ません。それに妖怪を殺すなんて怖い話ですよ」
「じゃ、どうすれば」
「退治出来ませんが、退散させることは出来ます。封じることも」
 ここからはいつものパターンで、いい鬼封じの御札を出してきた。そんな御札はないのだが、鬼に効きそうなのを選びだした。
「効くかどうかはあなた次第。効くと思えば効きます。効かないと思えば効きません」
 紳士は財布から万札を摘まみ出した。かなり分厚い。妖怪博士は一枚だけ頂いた。御札のお礼のお札ということで。
 紳士はその御札を持ち帰ったが、それで、いいときに出る妖怪いい鬼は退散したのかどうか、また出なくなったのかはその後の話を聞かないので、分からない。
 
   了


2022年9月1日

 

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