小説 川崎サイト

 

柳の下


 一つの事を谷口は達成したのだが、これはまんがよかったのだ。運のようなもの。また、いい間合いだった。そういうことは滅多に起こらないし、また予想していない。これが来て、達成出来た。
 気分はいい。しかし、これは二度と出来ないだろうと思うと、さらなる展開は厳しくなる。幸運は頻繁には来ない。小さなものは来るが、それほどのものではない。それで運がいいとか、まんがいいとかは言わないだろう。
 だからすぐに、またそういうことに向かう気にはなれない。おそらく今回の達成感は一生に一度、あるかないかの運の良さ、また、間の良さ、タイミングの良さ。
 同じものをこなし、達成したとしても。二度目では感じが違う。対象ではなく、アタックする側の問題だが。
 しかし、谷口は、そのドジョウを狙うつもりだ。いつもいるとは限らないのだが、それに近いものがいるかもしれない。大吉を望むが小吉でもいい。
 その満足感は、対象よりも、それに臨んでいた時期とかが重なるようだ。谷口の一連の流れの中で。
 だから、その流れに合わないと、それほどでもない。対象は同じでも。
 ただ、対象が弱いと、これは成立しない。だから対象も大事。殆どは対象によって決まるのだから。
 それでドジョウだが、しつこく同じ柳を狙っている。柳の本数には限りがある。だからすぐに尽きてしまうので、別の木を狙う必要がある。ただし、実際に狙っているのはドジョウだ。
 柳の下にいたと言うだけで、柳の下には幽霊もいるだろう。だからドジョウだけがいるとは限らない。
 また、ドジョウは水がないと駄目。だから川沿いや池沿い以外の柳では駄目。探しているのは柳の木ではなく、ドジョウなので。
 しかし、前回と同じ達成感を味わうには、同じことを繰り返しても、やはり無理。二度目三度目になると、それなりのものになる。まずまずといった感じの。
 では、前回の達成感はどうして来たのだろう。それに谷口は気付いた。それは意外性というものもあるし、想定していないのに、来た、ということもあるが、望んでいる展開、密かに期待している微妙なところに入ったからだ。
 それは、絶妙のタイミングで来た。それだけに色々なものが重なり合っていないと、駄目。それに谷口は気付いているのだが、やはり柳の下を狙う。
 いずれにしてもまんがよかったのだろう。偶然なのだ。そのため、それは作れない。谷口自身の気持ちも入るので、谷口次第というのもある。
 しかし、あのときの達成感。二度と再現出来ないし、二度と同じことが出来ないかもしれないが、それをやり続けるしかない。
 滅多に起こらないこと。それがたまに起こる。そしてそれは狙っていても起こらない。
 忘れた頃にやってくる。
 
   了

 
 


2022年9月4日

 

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