大過が時
竹田は大過時に差し掛かった。禍の渦中に入らんとしている。
倉橋屋敷が見えてきた頃、既に逢魔が時。
この屋敷に入ることは禍を受けるようなもの。しかし、それをやらないと、家は続かない。一族の命運がかかっている。しかし、何もしなければ命を落とすこともないのだが。
陰謀。それに加担。それは正義か悪かは関係はない。竹田にとり、それしかない。
倉橋一派が目論んでいるのは謀反に近い。成功すれば竹田家も立つ。そのままだと竹田家は勢いが落ちるだけ。ただ、長らえることは出来る。
しかしそれでは家長としては情けない。倉橋側に立ち、旗揚げすることを竹田は選んだ。
倉橋の企みは主筋を滅ぼし、取って代わるわけではない。その弟を立てるだけ。この弟ぎみはまだ幼い。
倉橋屋敷は堀に囲まれ、門へは橋で渡る。その橋が見えてきた頃、夕日も沈み、空は紅を僅かに残すが、暗い朱。まるで古血の空。
橋を渡ろうとしたとき、行く手を防ぐものがある。門から出てきたにしては、急に立ち現れた。
下僕、使用人のように見える。武士ではない。野良着姿の老人。
老人は竹田をじっと見ている。鋭い眼光で、しかも白目が赤い。目が悪いのか、充血しているのか、残照が当たっているのかは分からない。
近付くと、老人は首を振る。ダメダメと。手でも制止する仕草を加える。
竹田は、少しだけためらう。倉橋屋敷に入るだけでも勇気がいるのだ。決心、覚悟はしているのだが、止めが入ると弱い。脆い。
要するに老人は入ってはいけないと言っている。仕草で分かる。
竹田は急速に腰が砕けた。その気が失せたのだ。今までの覚悟は何だったのかと思うほどの脆さ。
これは我に返ったようなもの。このままでは竹田家はまずいが、命を落とすようなことはない。また世が変わればいいことがあるかもしれない。また、倉橋一派の事が成った時、竹田を優遇してくれるかどうかも分からない。
竹田は気抜けした。すると、橋の上の老人も見えなくなった。消えたように。
もう竹田には橋を渡る気などなく、まるで忌まわしい場所にいるような気がして、屋敷から離れた。
既に逢魔が時から夜になっている。
竹田の大過が時も、過ぎたようだ。
了
2022年9月10日