穏やかな爆破
勢いがあり、刺激が高く、大いに楽しめたり、また満足度が高く、望んでいたものと出合ったとしても、「しても」が付く。
大層になる、ということだ。元気な時はいいが、今は食べたくないと思うことがあるはず。
下田は最近それが多い。勢いづくのもいいが、疲れる。大層になる。面倒。というのがやる前からある。
これは悪いことや嫌なことをするわけではなく、望ましいことなのだが、それはずっと望んでいたり、期待していたこと。それが出来る状態になっているのだが、踏み込めないことがある。
これは、美味しいものを食べる前なので、それなりの体勢で臨みたい。より美味しいように。なぜなら美味しいものを悪い状態で食べても美味しさが半減する。それがもったいない。
下田は祭りに参加したことがある。これは当日の話ではなく、数ヶ月前からの準備にも加わっていた。色々なものを作らないといけないし、また練習もある。稽古だ。つまり祭りの準備。そこまでは地味。
そしてその成果での爆発が当日の祭り。これが急にしんどくなったのを下田は覚えている。祭りはもういいかとなったのだ。日頃の成果を出す日なのに。
それよりも、藁を編んだり、木組みを拵えたりと、地味なことをしている時の方がよかった。
それを思い出し、準備だけで、いいのではないかと思うように最近は考えている。しかし、何のための準備だろう。それを実行する学習発表会のようなところで爆発させないと意味がない。
だが、その感情が面倒臭くなった。そのテンションの高さが。
これが自然に発生したことならいいのだが、予定通りに訪れるものは、予定通りしないといけない。やりたいはずのことなのだが、予定されると、やらなければいけないものになってしまうためだろうか。
こうしたいと思っていることが、こうしなければいけないになっていく。
下田が敷いたレールでも、敷いた時の気持ちとはもう違っていたりする。別のルートの方がよかったのではないかと思うこともある。
突発的、予想外。そういう出合いの方がいきなりなので、躊躇したり、面倒がったりしている間がない。
だが、それらはは偶然に起こることで、いつ起こるのかは分からない。その偶然を得るための準備も臭い話になる。
それで、下田は最近、落ち着いたもの。それほど興奮しないものに興味を抱くようになった。プレッシャーがかからないものだ。
しかし、そういうものの中に、意外と凄いのが埋まっていて、いきなり爆発するかもしれない。
了
2022年9月13日