小説 川崎サイト

 

偶然か必然か


 世の中、偶然で決まる場合が多い。と、柴田は断言しているわけではない。そういうことが出来ない性分のため。
 これも偶然そのようにいつの間にかなってしまったのかどうかは分からない。
 偶然などはない。全ては必然とも言えなくもない程度に、柴田は思っている。だから、どちらなのだ、という感じなので、曖昧。
 ただ、偶然の元を辿ると、それらも偶然の積み重ねのように見えたり、または偶然ではなく、必然的な成り行きで、その元を辿っても、因果関係があるとも言える。
 しかし、言えないとも言えるということも承知しているのが柴田のややこしいところだ。断定出来ないキレの悪さ。しかし、決め込むことだけは避けたい。ただ、おそらくこうだろうということは隠している。言わない。
 しかし、本当はこうだろうというのは言わないのでも言えないのでもなく、上手く言えないためだろう。感じている程度なので。
 柴田は日頃は決まり切った仕事している。誰がやっても同じようなことなのだが、誰かがいないと仕事にならない。だからその誰でもない柴田が、誰がやっても同じことをやっている。
 ここに果たして偶然や必然があるのだろうか。あまりないように思えるが、たまに間違いやミスや勘違いがあるし、また調子の良い日と悪い日もある。同じことをやっているのだが、対し方が違う。
 これも一種の偶然だ。といって仕事に支障が出るわけではない。余程体調が悪い時は休むので、問題は起こらない。
 さて、柴田が断定的になれないのは、偶然でも必然でも似たようなものだと思うためだろうか。これは全然違うのだが、いずれもあとでの解釈だ。あれは偶然だったとか、必然だったとかで、過ぎてからの話。
 どちらでもいいのなら、何でもいいのではないかと柴田は考えている。たまにそれを実行する。
 ランダム、無作為。クジ。そんなことで物事を決める。ただし、大事なことは流石にそんな博打は打てないので、それなりに考えるか、考えていい答えが出ない時は、全体の流れに合わすか、立ち止まったままで、何もしなかったりする。そのうち人が背中を押してくれるのを待つとか。自動的には動かないので他動的に。
 これは駄目な例だろう。流されるがまま。しかし、この水のような感じも悪くはないのだが。
 それで、ランダム。これでとりあえず決める。これは断定的だが暫定に近い。中味はない。出鱈目で、しっかりと考えた上での決め事ではないので。
 そういう、いい加減なことなら断定的に明解に出来る。本当にそう思っていないためだ。
 このランダム。偶然出る賽の目のようなもの。そこには作為はない。だから柴田の頭の中の範囲を超えたものを選んでいたりする。柴田にはないもの。柴田なら選ばないもの。それを選んでしまえる。そう賽の目が出るのだから。
 このランダム作戦をやり始めてから、意外なものと接することが多くなり、こういう世界もあったのかと、思うようになる。自分で決めていたのでは一生縁がないようなものにも触れられる。
 そういう行為をやることも必然性があるのだろうか。ここでも偶然か必然かは分かりにくい。必然的なことばかりをやっていると、たまには因果律から離れたところに行きたいのだろうか。それも因果の内なのか、外に出たのかは、曖昧。
 いずれにしても、一寸目先を変えると新鮮だったというレベルだろう。
 
   了 
 


 


2022年9月16日

 

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