小説 川崎サイト

 

蟹歩き


 難しいこと、小難しいことをやっていると、普通のことがしたくなる。ただ、難しいことでも、普通のことの延長もある。だから普通のことの中に難しいことが含まれていることがあるだろう。全てではないが。
 最初は普通のことをしていたのだが、その延長線上にある小難しい領域にいつの間にか竹田は入り込んでいた。
 ここは難儀なところで一筋縄ではいかない。だからすぐに行き止まりになるのだが、突破口もある。その穴が見えていたりするが、そこに突っ込むにはきついことになるだろう。と竹田は感じ、最初の安易なレベルのところに戻った。多少物足りないが、ほっとした。こちらの方がやはり落ち着ける。
 しかし、すぐに退屈になり、また難しい領域に踏み込んだりする。どうもこの繰り返しをやっているようで、落ち着きがない。
 ありきたりのものでは飽きるのだが、飽きない方法はないものかと竹田は考えた。それは接し方を変えることではないか。相手を変えるのではなく、自分を変えるという常套手段だ。
 竹田はそれを試してみた。少し見方が変わったので、新鮮。しかし、それもしばらくすると飽きてきた。それでまた接し方を変えた。すると新鮮さが蘇った。相手側、対象は変わっていない。
 どうも、そういう深掘りをするのは、対象が深いのではなく、竹田の態度でどうとでもなることが分かった。ただ、竹田自身に素質がないと無理だが。
 つまり竹田がやっているのは横への横滑りで、深さは大したことはない。しかしそれでも一点から見るのではなく、多点から見たことになるので、深さとはまた違うものを捕らえたりする。これは深掘りしても出てこないことかもしれない。竹田が受けた感じにしか過ぎないが。
 そちらの方が難しくて厳しい状態にはならないので、楽。
「竹田君、また一つのことをやらないで、八百屋をやっているじゃないか」
 八百屋とは、何でも売っていた昔のコンビニのようなもの。専門店ではない。
「ついつい横に滑ってしまいました。でも研究対象は変えていませんよ。接し方をいろいろと変えているだけで」
「本当かね。一つのことをコツコツやっているんだね、信じるよ」
「はい、蟹歩きですが」
 
   了


 


2022年9月26日

 

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