小説 川崎サイト

 

妖怪を出す

 
 人間でもなく動物でもない。また物なのだが生きている。人のように。
 しかし、その物は人ではない。そういうややこしいものがいるのだろう。いずれも想像上の生き物なのだが、生命の宿りようのない机や道具などにも、それが可能。
 これも想像上の物というよりも、物怪といった方が通りがいい。物に何かが憑いているのか、何かが物に宿っているのかは分からないが、そういう考え方も人が想像したもの。作ったもの。
 人は必要なものしか作らない。ただの観賞用でも、それが実用になる。必要なのだ。
 どうして、そういうものが必要なのかを妖怪博士は考えているのだが、居るから居るのだろう。だから実用品。
 人を怖がらせるため、などもある。これも実用性がある。役立つ。相手は怖いので、困るが。
 またそれを見た人はいないとしても、話を聞くだけでも怖い。そういうものが実在していないと分かっていても、話の上では立派に存在している。いるのだ。
 人を動物レベルに考える。これは貶めることになるのだが、動物の方が高貴だったりする。
 つまり、人ではない。という人でなしも妖怪の部類だろう。人ならそんなことはしない。人の中にある獣性が露出したような行為とか。
 しかし、この獣性、普通の自然状態の話で、良くも悪くもない摂理かもしれない。
 また、ある人物や団体を妖怪化してしまうことがある。妖怪化したい事情があるのだろう。人と見なすよりも。
 化け物をそこに置きたい。これが何らかのワンクッションになる。人を退治するのではなく、化け物を退治しただけ。という具合に。
 だから、その時代の要望があり、時代により、妖怪などの必要性も変わってくる。需要が変わるのだ。
 人を超えた存在というのもある。これは特に肉体的に。妖怪だから人よりも強いとか。また退治することは不可能とか。
 人にとってはそれは憧れかもしれないが、妖怪の風貌になるので、なりたくはないだろう。
 それに人が妖怪化すると言うことは実際には有り得ない。ないからいいのだ。何とでも作れるし、想像出来る。
 そこに一寸した今の需要が入っている。
 妖怪博士は存在しない妖怪が出たという人のために、御札などを貼りに行くのだが、それで出なくなることがあるので、いい加減なものだ。
 
   了




2022年10月16日

 

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