小説 川崎サイト

 

山中の女

 
「山の中で女がいるのを見たと言っているのですがね」
「どんな人ですかな」
「まだ若く、そして着物」
「何かなければそんな和服など着ないでしょうねえ。普段からそんなものを着ているのは料理屋とか、そのあたりかな」
「知り合いはキツネに化かされたと言ってます。博士はキツネやタヌキに詳しいと聞きましたので」
「それほど詳しいわけじゃありません。怪しい目に逢った時は、大体がキツネの仕業、タヌキの仕業。または他の小動物でもいい。イタチとかね。昔の里ならよく見かける動物。犬もいるが、犬は人を化かすような感じはしないからな」
「知り合いが、そんな目に逢ったので、これは何かと思いまして」
「そんな目ですかな」
「ですから、山の中にいるはずのない女がいたので」
「驚いただけじゃろ」
「そうです。不思議すぎて、一寸ショックらしいのです」
「どんな山ですかな」
「登山道です。簡単に行ける場所ではありません」
「そういう女性、町で見かけても分からないでしょうねえ。和服姿は珍しいが、習い事の発表会とか、まあ、それなりの事情は想像出来ます。それで、その山の中の女の人は何をしていたと、その知り合いは言ってましたか」
「立ったままじっとしていたとか」
「街中でそれをするのは待ち合わせで立っている以外では、少しおかしいですが、それでも怖くはないでしょ。で、どんな表情の人だと言ってました」
「無表情です」
「無表情でも、待ち合わせで相手が来ると、表情がほぐれのでしょうなあ」
「やはりキツネの仕業でしょうか」
「本当は違うと思いますよ。でもその知り合いには、キツネに化かされたと、私が言っていたと伝えて下さい」
「本当は違うとは、どういうことですか」
「さあ、正体は分かりませんよ。それじゃ不安でしょ。だから犯人を特定したい。そこで出てくる便利なのがキツネなんです」
「でも、本当は違うと言われましたが」
「本当のことなど、誰にも分かりませんよ」
「じゃ、その山の中の女の人は、一体何だったか、博士はどう考えておられますか。これは知り合いには伝えませんので」
「この時代の人じゃないでしょ。和服を普通に着ていた時代の人で、髪型は聞いていませんでしたが、どうでした」
「バサッとした長い髪だったとか」
「着物は派手な色柄でしたか」
「そこまでは聞いてません」
「当然、履き物も」
「はい」
「山中の隠れ家とか迷い家のようなものでしょ」
「隠れ家」
「そんなところに家など建っているわけがないのに」
「それの人版ですか」
「誘うのです。手招きして、怪しい屋敷へ。しかし立っているだけなので、それは違うかもしれません。雪女や山姥。山中に出る怪しい女性は他にもいますが。本当は違うでしょ」
「その正体は妖怪博士でも分かりませんか」
「分かりません」
「はあ」
「ただややこしいものはキツネに被せてしまえばいいのですよ。キツネなら怖くないでしょ」
「熊やイノシシは怖いですが、キツネやタヌキなら、何とかなります」
「キツネも災難じゃなあ」
「あ、はい」
「この世には窺い知れぬこと、人知を越えたことがあると、昔から言われているでしょ。その通りです」
「分かりました。知り合いにはキツネの仕業だと伝えておきます」
 
   了





2022年10月25日

 

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