小説 川崎サイト

 

追いかけ爺

川崎ゆきお



 雨が降っている。初冬の雨だ。降り出す前より気温が上がった。冬の暖かい雨だと思われるが、実は温度は同じだ。老人の体感温度が変化しただけの話である。
「イメージが優先しますなあ」
 老人が語りかける。
 コンビニレジで並んでいる時だ。
 話しかけられた老人の前にいる女性は驚いて振り返った。
 老人の言葉を聞き取ったからではない。見知らぬ老人が声を発したからで、その意味を知りたかったのだ。
 女性は老人が誰に話しかけているのかを確認した。独り言だと解釈した。老人のうしろで並んでいる客はいないし、周囲にもいない。レジのバイトも反応していない。
「思いが物事の解釈を変えてしまいよる」
 話し相手のない老人の独り言は、よくある。しかし、内容が相応しくない。雨が降ってきたのでぶつくさ言うのなら分かる。何についての独り言かが分かるからで、それなりに共感できることもある。
「あなたはそうは思いませぬか?」
 そのあなたとは、その女性しかいない。
 話しかけられているのは自分だと、女性は確信した。だが、反応しなかった。あなた、ではまだ弱いからだ。他にもいるかもしれない。
 女性が無視を決め込んだ理由は他にもある。老人の話し方が老人らし過ぎるからで、今の老人はそんな古臭い言い方はしない。
「己が感じたことをば事実と見よる。これ即ち錯覚なり」
 前列が動き、女性にレジの番がきた。
「お分かりかな」
 レジのバイトも聞こえているはずなのだが、知らないふりをしている。
 女性は昼食のサンドイッチと野菜ジュースをレジ台に置いた。
「食べ物も、イメージで食しておる。お分かりかな。あなた」
 女性は支払いを済ませ、急いでコンビニを出た。
 冬の雨が降っている。小雨だ。女性は事務所を出るとき用意していた傘を開く。会社のビニール傘だ。
 うしろをちらりと見ると、あの老人が追いかけてきている。
 女性は小走りとなる。事務所のある通りに入る。裏道だ。雑居ビルが立ち並んでいる。
 女性が振り返ると、老人が体を横に振りながら追いかけてきているのが見える。
 女性は雑居ビルの一つに飛び込む。
 そして事務所に戻った。
「変なお爺さんにコンビニから追いかけられて…」
 同僚たちは何を言っているのか、理解できないようだった。
 
   了


2007年11月12日

小説 川崎サイト