小説 川崎サイト

 

心の平穏

 
 晩秋の穏やかな日、平田も気持ちが穏やか。これは作ろうとして作れるものではなく、いくら心がけてもそんな状態にはならない。そのため、それはある日、すっとやってくる。
 気持ちが穏やか。しかし反応は鈍い。シャキシャキしていない。動作も鈍い。別に患っているわけではないのは、気分が良いためだ。
 しかし、無気力になり、気分も良くなる症状の病気もあるだろう。しかし、それではなく、気が静まっている。
 では今まで荒ぶっていたのかというとそうではない。
 僅かだが、落ち着いた気分の中にいる。これは、一体どんな境地だろうかと心配になるほど。
 まさか悟ったわけではあるまい。そうなるような修行などやっていない。
 では、何かのけりが付いたとか、一段落付いたとかだろうか。それも思い当たるものが平田にはない。
 しかし労せず穏やかさを得たのだから得をした。だが、これもやがて退屈に変わり、刺激が欲しくなるはず。そういう心境にこれまで平田は何度かなったので、また、それが来たのだろう。
 といって人柄が変わったわけではなく、あまりドタバタしないだけ。急ぐことでもゆっくりとやる。それで遅くなっても気にしない。
 これはただの鈍化ではないか。鈍感になっただけで、鈍くなっただけではないかと、そちらの方が心配。
 だが、その心配も軽いもの。それは穏やか気分の中にいるためだろう。
 しかし、ぐっとやってくるやる気が発生しない。また、その逆側の心配事なども薄くなっている。そして平田らしさも弱まっている。これはそれなりに居心地が悪い。
 その悪さも、僅かなので、穏やかさを狂わすものではない。
 朝からそんな感じで昼頃まで続き、夕方になっても心穏やか。
 まるで、人格者になったような、偉い人になったような気分。これはやはり、まずいのではないかと、夜になってから心配になってきたが、夜半過ぎ、それは収まり、いつもの平田らしさに戻った。
 こちらの方が居心地が良い。
 翌朝になると、あの穏やかさは消えており、気持ちはそれなりに波立っているが、生き生きとしている。
 やはり喜怒哀楽などがそれなりにあるほうがメリハリがあっていい。穏やかな状態は、たまにあればいい。ずっとそうだと、生きている実感がしない。
 
   了





2022年11月10日

 

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