小説 川崎サイト

 

自動運転中の雑念

 
 雨で気圧が下がったのか、石嶺は調子が悪い。
 普段から悪いのだが、それが重い。といって日常の暮らしに影響するわけではなく、普段通りにやっているが、無理が出来ない。
 気合いが足りない。だが、いつもやっていることなら出来る。維持出来る程度で、積極的な態度ではないが。
 雨で鬱陶しいのだが、そんな日でも調子の良い時もある。これは何か良いことがあるためだろう。
 その日は、そんなこともないので、惰性で動いているようなもの。その動きは自動的に決まっているようで、特に意識的にならなくても、自動運転に任せておけば、それで済む。
 ただ、これはどっちだったかな、と思うことがあり、そこは意志を働かせないと、自動では無理。自動的に決まるのだが、その自動が効かないため。そこでその自動、止まってしまう。
 石嶺はその時は自分で判断する。だが自動で動いている時も、実際には石嶺の判断なので、決まり事の場合、以下省略で、勝手に動いてくれるが石嶺の意志でもある。
 ただ、そこにはこれといった意思や意味はない。動きだけがある。これをすれば、あれをするという程度の流れで、その中味も決まり事が多いので、これも勝手にやってくれる。
 しかし、それはやはり石嶺から出ていることなので、石嶺のやり方でもあるので、勝手に何者かがやっているわけではない。
 自動運転は頭を使わないので、楽。
 余計なことを考えなくて済むのだが、その間、頭は別のことを考えたり、思ったりする。
 何することもなく漠然と待っているような時間などで、色々な雑念を湧かすのと同じ。頭が暇なため。
 待っている時、その先のことも当然考えるが、レジで並んで待っている時の先と言えば小銭があるだろうかとか、ここで万札を使おうとか、その程度で、そういうことも考えなくてもいいようなもの。
 だから買い物のことなどではなく、別のことに行くのだろう。雑念もあるが大事なことも少しは考える。これは気になっているので、浮かんでくる。
 さて、雨で鬱陶しく動きも悪い石嶺は、その自動運転をしながら頭は色々な雑念の渦の中。こういうとき、ふと思い付くことがある。
 これはただの想像だったり、単なる馬鹿げた空想だったりするのだが、無機的なことをずっとやっていると、そういった雑念の電磁場で、次々に湧き出てくる。
 これが結構気持ちいい。敢えて嫌なことは想像しないようにしているだけのことかもしれないが、頭がお留守の時にすっと出て来るもの中に良い思い付きがたまにある。
 しかし、暇なので思い付いたものなので、いざそれをやろうとすると、途端に溶けてしまう。やはり雑念は雑念で、余計なことを考えていただけのことが多い。
 しかし、思うだけなら勝手だろう。遠慮はいらない。
 
   了

 

 



2022年11月16日

 

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