小説 川崎サイト

 

田村を舞う

 
 長く寄り道をした田村が戻ってきた。寄り道なのだから、そうではない道がある。これを本道といって良いのかどうかは分からない。
 元の道かどうかも曖昧。田村はそれを本道、自分の道だとは思っていなかったかもしれない。
 寄り道をしたのは、そのためだとは思えないが、その寄り道が実は本来の道ではないかと思えることもある。いずれも思っているだけで、確証はない。
 確証は田村次第。田村が決めるのだが、吉田ならまた違う決め方をするだろう。だから、この場合、田村の道。
 ただ、この道はややこしい。辿った道を見れば田村の歩いた道なので、田村の道なのだが、その道しかなかったとか、その道を選んだのか選ばされたのかは曖昧。
 そのため、きっちりとした道ではない。殆どが偶然かもしれないが、出鱈目ではない。それなりの意味があった。
 さて、その田村、長い目の寄り道をしていたので元の道に戻ったとき、少しばかり新鮮。久しぶりに我が家に戻ったようなもの。その我が家も長く住んでいたためだろう。その我が家、古いほうがいい。引っ越したばかりの我が家では一寸様子が違う。
 それでも本来の田村の道らしいので、こなれた道なので、安心感がある。よく分かっている道沿いのため。
 新鮮に感じたのは、久しぶりということもあるが、やはりこの道を行く方がいいのだろうと、改めて感じた。
 これは旅行から戻ってきて、我が家が一番というのに近い。出る前の我が家と戻ってからの我が家の印象の違いのようなもの。
 ただ、その我が家、ややこしいことになっていないことが条件だが。
 これまで有り難く思っていなかったのに有り難く思える。これは日常が崩れ、非日常になり、また日常に戻れたときの有り難さと同じ。
 しかし、田村はそれほど有り難いとは思っていないが、これでいいのだろうとは思えた。つまり、元の道で。これは慣れの問題が大きい。
 長い寄り道での成果などない。経験しても仕方がないような経験をした程度。それが活きると言うことはない。しなくてもよく、やらなくてもいい余計なことをしただけで、月日の無駄に近い。
 そういう無駄など何一つないとは田村には思えない。無駄は無駄なのだ。それ以外の意味はないと。
 しかし、寄り道の効果として、元の道の値が上がった。見直したのだ。寄り道が必要なほど飽きていたし、またあまり良い道だとは思っていなかった。その受け取り方が変わった。
 これも良くあることだが、寄り道したお陰なのだ。ただ寄り道をしたため、ブランクがある。その分、遅れているが、あまり進みたくなかったのだろう。だからの寄り道。脇目をした。
 今回は、もう充分脇見もしたので、本道での歩き方も軽快。
 いずれも感覚の問題で、感じ方だけの事だろうと田村は思っているが、居心地は良いようだ。
 
   了

 


2022年12月3日

 

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