妖怪山房
神吉川が山に入るところに妖怪がいる。
そこは村なのだが、村外れ。もう人家はないが、見えている距離。子供の遊び場としては丁度いいのは高低差があるためだろう。山に入る寸前は厳しくはない浅い渓谷。川は浅く、そして狭い。子供でも渡れるほど。
しかし、その先へ進むと、山らしくなり、少し手応えがある。だから、その手前までが遊び場。今はもう少なくなったが、魚がすくえた。これは夏までだろう。
子供時代、そこを遊び場にしていた青年からの連絡で、妖怪博士は呼び出された。自発的ではない。担当編集者からの依頼。
距離的にも程良く、交通の便もいい。だからもう今風の町になり、村の面影は殆ど残っていないが、川が山に入るあたりは僅かに残っている。家がないためだろう。
妖怪目撃談ではなく、いそうな雰囲気がするという程度で、これはその青年は妖怪がいることを知っているため。子供の頃、その話を聞いている。
その妖怪山房が出るので、渓谷の先へは行ってはいけない。山房は大きなイノシシの姿をしているが、見た者はいない。ただ、イノシシはいる。
そう言うのが出るので、危険なので、山が本格的になるとこへは子供だけで入ってはならないということだろう。
それに昔は密猟などもあり、獲物と間違えられそうなので。
「嘘だと分かっているのですがね。子供の頃は本気で山房がいると思っていました」
青年が語り出す。
妖怪博士は妖怪退治ではないので、安心して聞いている。また、妖怪を鎮めたりもしなくてもいいようだ。一番こなしやすい雰囲気物。いるような気がする。そんな気配がするという曖昧なもの。
「しかし、夢で見ましたよ。山房を」
「どんな姿だったか、覚えていますかな。それよりも、その夢、いつ頃に見られました?」
「それも子供の頃です。その後、見ません。その姿なのですが、全身は分かりません。大きな口が開き、歯が見えていました。牙もありました。そこだけが残っているのです。最初から全身は見えなかったと思います」
「最近、山房の噂は出ますかな」
「出ません」
「あ、そう」
「ただ、気になっていましてね。何か懐かしいような」
「ああ、なるほど」
担当編集者は奥の渓谷手前の川縁から水の流れを見ている。当然青年の話は聞いているが。
「何がどうなのですかな」
「妖怪山房は本当にいたのかしれないと思いまして」
「子供を脅かすための妖怪でしょ」
「でも、なぜ山房という名を付けたのでしょ。呼び方だけではなく、漢字です。これは誰かが当てたものかもしれません。呼び方は(やまぶさ)です」
担当編集者が「あれは何でしょう」と指差す。その先は渓谷の入口の岩壁。切れ目があり、何かがぶら下がっている。
「山房を祭る祠跡です。子供の頃から、あの状態です」
「村の大人達は何を考えていたのでしょうなあ。聞いてみましたか」
「はい、かなり前から山房の話があるらしいのです」
「イノシシの化け物ようなものでしょ」
「そうだと言われています」
「大きなケモノ。山の神かもしれませんな。または山の神の使い」
「それがどうして妖怪になったのでしょうか」
「聞いてませんか」
「はい」
「土地の人がそれ以上のことを知らないとか、または敢えて話さなかったのもしれませんね。本当は妖怪なんかじゃない存在。しかし、妖怪にしてしまえというようなことが起こったのでしょ。あとは村の禁忌事項」
「この村に昔、何かあったのでしょうか」
「想像ですよ。あなたが子供の頃には既に祠は崩れ去り、もうそのまま放置。きっとこの一件も時効になったのかもしれませんが、何があったのかさえ忘れ去られた」
「でも、子供の頃、聞いた山房は怖かったです」
「きっと大人が怖い顔で語ったからでしょうなあ。声も怖そうな声で」
「ああ、そうです。それでもの凄くおぞましいもので、怖いものだと」
「渓谷の奥へ入ってはいけないだけの話なら単純なのですがね」
「子供の頃はそうだと思っていましたが、大人になってから村の年寄りに山房のことを聞くと、嫌な顔をされるので、これは何かあるのではと思った次第です。でもその年寄りも、良く知らないようです。妖怪博士なら、それが分かるのではないかと思いまして」
妖怪博士は川縁からその祠跡を見ている。担当編集者は真下まで行き、登ろうとしている。人が作った階段がある。
「何か感じませんか博士」と遠くから編集者。
「別に」
青年もじっと博士を見ている。
妖怪博士は首を一寸振る。
「どうですか、博士」
霊感とか特殊な能力のない妖怪博士は、ただただ沈黙していた。何も感じないのだ。
担当編集が階段を踏み損ねたのか、石段のかけらが落ちてきた。
「危ないので、やめなさい」
「上まで昇って祠跡の写真を撮ります」
「ご苦労じゃなあ。何もないと思うがな」
青年は、表情のない顔で下を向いた。
山房とは山の中の家とかの意味がある。イノシシの妖怪とはジャンルが違うが、イノシシの家でもあったのだろうか。
巣ではなく、家。何者かが住んでいたのだろう。
了
2022年12月4日