小説 川崎サイト

 

結界内の話

 
 毎夕喫茶店の窓から夕空を見ている宮本だが、これは何とかしないといけないと思い、別の場所へ行き、そこから見ようと思ったのだが、では何処へ行くべきかと考えたえた末、結局実行出来ず、その通りには行かなかった。
 これを日常の結界と呼んでいるが、夕方、そこに行くのが癖になっている。習慣なのだが、これは一日の中での順番があり、それが狂うと、普段の調子とか、普段の様子とかが変わるので、そのレールから出たくない。
 だからこそ、そのレールから出ないと、また今日も同じ場所に座り、夕日を見ることになる。これでは変化がない。
 ここから、たまには脱する必要がある。普段のレールから見れば、それは脱線に近い。脱して良い事があるのかと考えたが、これも別にない。いつもとは違うことをしたという価値があるだけで、その価値はなかなか値段が決まらないほど、相場がないに等しい。
 そして、昨日と同じように喫茶店の窓から夕日を見ているのだが、空全体が曇っているときは夕焼けにならない。雨の日でも。
 最近続けて夕焼け空を見ているが、夕焼けになっている日は逆に珍しかったりする。また同じ夕焼け空でもそっくりそのままなど有り得ない。
 雲の出方が違うし、また雲一つない夕焼けもある。これだけでも変化ではないか。日々変化しているのだ。決していつものような日々ではない。そんないつもなどいつもないのだ。
 さらに同じ夕焼け空を見ていても、宮本の体調や気分により、少し違って見える。また、夕日どころではない日は、目に入っていても見ていない。これは宮本の変化。日によって違う。
 だから夕焼けも変化し宮本も変化しているのだから、ダブルの変化。凄い変化ではないが、違いは大いにある。
 そして今日の夕焼けは格別いい。これは滅多にないだろう。先ず色がいい。まさにあかね色。そして雲がそれなりに複雑な形をしており、一枚雲ではなく、絶妙のレイアウト。一寸千切れているが、いい間隔を置いて浮かんでいる。
 上空の風は弱いのか、雲の流れもゆっくりで、よく見ないと動いているかどうかさえ分からないほど。そして日が落ちるのだが、明るさが徐々に減っていく。雲も光線も動いているのだ。
 これは定点観測だからこそ分かることで、同じ場所、同じ時間に居るので、そこはほぼ固定。宮本の心情は動いているが、昨日ほど、また同じことをやっているとは、今日は思わない。
 そして、ああ綺麗だった。見事だったと、瞬間思い、あとは忘れてもいいこと。いつまでもいつまでも覚えてはいないが。
 諸行無常で、森羅万象変化する。ただ、早いのと遅いのがある。
 それにこの喫茶店の窓から見える夕焼け。この季節だけだろう。時間は同じでも、日が沈む時間が違っていくためだ。
 結局宮本は日常の結界から出られないのだが、用があれば出るだろう。
 それに結界内は狭いが奥深いことが分かった。
 
   了

 
 



2022年12月9日

 

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