小説 川崎サイト

 

師走る

 
 師匠も走る師走。その師匠である石川は師匠の中での師匠で、師匠の師匠。だから大師匠。その上にまだ師匠はいるが、高齢過ぎて、走ることなど出来ない。
 石川も師匠の上に立つ師匠なので、それなりに年配だが、まだ走れる。しかし、あまり走る用事がない。
 青信号が変わりだしたとき、横断歩道を少し走るだけ。しかし、全速ではない。これは滅多にない。非常に危険なとき、そこからすぐに逃げ出さないといけないときなどだ。
 早いのは逃げ足か追い足かは分からないが、これは危険なときの方が早いだろう。その速度は自己記録を上回ったりする。
 ただし、意識的にはそのスピードは出せない。火事場の馬鹿力のようなものだ。担げるはずのない箪笥を担いでいたりする。これは気付けば、すぐに落としそうだが。
 その師走、滅多に走ることがない石川が走っている。健康のため、ランニングをしているわけではない。逃げているのだ。何者かに追いかけられている。
 場所は普通の道。しかし石川の後には誰もいない。誰かを追い越せば、その人が後にいることになるが、姿の見えないものに追いかけられている。
 だから、見た目、年寄りが急ぎの用で走っているように見えるが、かなりのスピード。
 数メートルならいいが、それなりの脚力を維持している。本来ならすぐにバテるだろう。足が前に出なくなるはず。
 ところが石川の足は衰えない。逃げ足の凄さだろうか。
 それでも限界がある。かなり行ったところで、歩きだした。
 後から追いかけているものは、もう、いいのだろうか。もう追って来ないのだろうか。
 石川は体力がなくなる前に、後からの気配も弱まり、追いかけるのを諦めたように、距離が開いた感じだ。
 丁度、それでよかった。普通に歩いていても、もう追われていないので。
 しかし、かなり後方にまだ気配は残っているが、もう消え入りそうなので、これは大丈夫だろう。
 石川はその師走、用事で走りまくっていたわけではない。しかし大師匠を走らせた原因が分からない。石川はそれを感じて逃げ出したのだが、そのものが何者なのかは分からない。人か、別のものかも。
 石川はこの時代、そんな怪異があるのかと、世の不思議を思った。
 
   了

 
 


2022年12月12日

 

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