小説 川崎サイト

 

意欲

 
 安田は朝起きた時から意欲的。
 これは何だろうかと、考えた。何に対して意欲的なのかではなく、意欲的になったことについて。
 原因が分からない。その前日とかに、何かあったわけではない。希望の光とか。
 それで意欲について意欲的に考えてみた。今朝の意欲はそんなことを考えることではないはずで、考えるというのは立ち止まること。
 歩きながらでも考えられるが、そうではなく、意欲的に何かをやるのではなく、その意欲の原因を考えるなどは、あまり意欲的ではないのかもしれない。
 ということを安田は考えたのだが、意欲的にやらないといけないことはそれなりに多くある。その一つでもやり始めればいいのだが、そこで立ち止まってしまった。
 これは考えについて考えるようなもので、それでは考えてばかりで、実行がない。考えることも実行だが、やはりそれなりの動きが必要だろう。
 考えることに意欲的になる。これはこれで悪くはないが。
 それで最初に思い付いたのは、時期だろう。だが、この時期とかタイミングとか周期とかではなく、実は体調ではないか。
 しかし、今朝は体調が特に良いわけではないし、悪いわけでもない。普段、何でもない時でも不調だし、あまり意欲的な気も沸き上がりにくいので、これは普通に戻ったのではないか。
 だから、特に意欲的なわけではなく、それまで、あまり意欲的ではなかっただけ。
 しかし、たまに意欲的になることがある。過去のそうした例を安田は全部覚えているわけではないが、何度か経験している。その時も、原因が分からなかった。
 これはやはり体調ではないかと、また考えた。気分的なことではない。
 それなら単純だ。つまり仕掛けが単純なのではなく、意識したり、考えたりしても仕方のないところで起こっているので。
 要するに普段よりも、元気。という程度だろう。安田は普段からあまり元気ではないので、これで人並みだろう。ただ、元気さの人並みなど、知りようはないが。
 どちらにしても朝から調子が良い。だから積極的な動きになれる。
 こういうときは、やりかけたまま中断しているものを再開するとか、それはもういいので、諦めて、別のことに取りかかるとかがやりやすい。スタートも早いだろう。
 しかし、その前に、なぜ意欲的になっているのかを考えてしまったため、元気なエネルギーをそこで使ったのか、午後からは、もう意欲の意の字もなくなっていた。
 意欲というのは気紛れか、賞味期限が短いのか、それは分からない。
 
   了


 

 
 


2022年12月18日

 

小説 川崎サイト