小説 川崎サイト

 

寸止め

 
 精得寺の高僧が悟ろうとしていた。しかし、その寸前で、止めた。
 その入り口から中が僅かながら覗ける。そこで見たものが一寸違う。魔境を覗いたわけではない。
 このまま悟りきると、ああいうことになるのかと、想像出来た。何せ悟る寸前の高僧。そこに到達しただけでも世間の人から見れば悟ったも同然。
 しかし、完璧ではない。人間臭さが僅かながら残っている。我はかなり捨てているのだが、まだ我は残っている。その我が蛾のように飛んでいる。
 弟子が、それについて聞いてみた。
「悟られる寸前なのに、どうして辞められるのですか。もったいない」
「悟りきればもったいないがどうももなくなる」
「それこそ悟りではありませんか」
「悟ったことも分からぬだろう」
「悟ると、悟ったことも分からないのですか」
「それをちらっと見た」
「でも、折角、ここまで来ていながら」
「わしの悟り方は間違っていたのかもしれん。だから到達しては駄目なのじゃ」
「そうなのですか」
「こういうブツクサものを言うこともなくなるだろう」
「一体どんな境地を垣間見られたのですか」
「あれではない。あれでは住職は務まらん」
「あれって、どんな感じなのですか。教えて下さい」
「お前も悟る気か」
「そのつもりです」
「あっちへ行ってしまう」
「あっちとは」
「それ以上は言えん。しかし、あっちへ行ってしまうと、お前との話も噛み合わんだろう。それに、もう話す気にもなれんはず」
「そんなものですか」
「だから、わしは悟り方を間違えたのかもしれん。多くの先人は、それを知っておったのだろう。だから悟れるのに、悟らなかった。敢えてな」
「行くと、戻れないのですか」
「おそらく」
「その境地、知りたいです」
「わしの師匠がその状態に達した」
「私も知っております。でも、悟られたのとは違うと、私は思っています」
「そうなのじゃ、わしが垣間見たものは師匠が悟られたと同じ状態だと思われる」
「どんな心境になるのか、教えて下さい」
「知らぬが仏」
「大師匠の様子を私も見ました。悟られると、ああなるのかと。あれですか、やはり」
「言わぬが花」
「じゃ、やっぱりあれなんですね」
「寸止め。これだな。先人達も、そこで止めた意味が分かった」
「あ、はい」
 
   了



 


2022年12月19日

 

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