小説 川崎サイト

 

整理

 
 頭は整理したがる。これは気持ちがいいのだろうか。
 何かを処理した気分になれる。処分でもいいし、捨てるのもいい。その捨て方のルールのようなものを考える方が、実際に捨てるよりも、いい気分になれる。
 徳田はそんなことを考えていたのだが、整理のための整理ではなく、その方が使いやすいし、取り回しがいいし、また、纏めやすい。
 しかし、部類分けしたり、ジャンル分けをし、その中に入れてしまうと、もう見なかったりする。大部屋ではなく、個室へ移すため。大部屋ならいつも覗いているし、常にアクセスしている。普段から目に入る。
 ところが、ジャンル分けをすると、その小部屋の看板は見ても、中には入らない。そして永遠に覗かないまま、開かずの間状態になる。
 整理も良し悪しだと、徳田は思ったのだが、その整理は楽しかった。
 未整理なままの大部屋。ランダムに、無作為に一つ選び、それを見ると、なぜこんなものが、ここにあるのかと思うのだが接触するチャンスになる。
 その時、これはいらない、永遠に。またはその気になるようなことなど当分はないと思えば、そこで捨てることにする。
 それを決めるのは今で、未来ではない。未来はどうなるのか分からないが。先々それが必要かもしれないが、大部屋に置くのは邪魔。
 これはハズレの札で、アタリではない。だからアタリの確率が少なくなる。
 分けて仕舞っておくと、触れる機会がないのは、今、必要ではないため。それに何を仕舞ってあるのかが分かるので、驚きのようなものがない。何が飛び出すのかが分かっているため。
 それで、徳田は大部屋に戻してみた。大部屋だと何が入っているのかを忘れているのもある。
 偶然、それを取りだしたとき、思い出す。それまで忘れていたことなので、一寸だけ新鮮。
 中には大事なものも出てくる。これは大事なものを探している時ではない。
 決して大部屋はブラックボックスではない。その一つ一つは徳田が吟味し、入れたもの。
 中に入れるかどうかと迷ったものもあるので、スカもあるし、そのときは気付かなかったが、大当たりもある。
 その大部屋は見晴らしがいいのだが、何処に何があるのかが分かりにくい。しかし、最近入れたものは上の方にある。手掛かりはそれだけ。
 散らかりすぎて、ゴミの山のようになった部屋なら、地層になっており、古い層から掘り出せば、古いものが見付かる程度。時間軸だけは分かる程度。
 また、古いものでも、一度掘りだし、そして仕舞うときは一番上になる。次回は上に来ているので、分かりやすい。
 仕舞い込んでしまう小部屋は永代供養。墓を作っているような整理になる。大部屋だと、死にかかっているのもあるが、それなりにお参りが出来る。
 徳田はそれで整理しないことにした。折角作った小部屋だが、その中のものを大部屋に戻した。
 整理すると気持ちがいい。それだけのことだった。
 
   了

 



 


2022年12月20日

 

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