小説 川崎サイト

 

妖怪ヨシワル

 
 ヨシワルという妖怪が居るらしい。地味だ。
 最近、妖怪博士はその種の地味な妖怪に興味がある。この妖怪は良し悪しだろう。善悪併せ持った妖怪。
 シバ神もそのタイプで、破壊はするが、また作る。破壊しないと作れないものがあるのだろう。
 ヨシワルは、それをうんと規模を縮小し、個人レベルにまで下っている。
 しかし、個人の世界は全体の世界を作っていたりする。一人一宇宙のように。しかし、妖怪博士はそこまで飛躍しないで、もっと動物的な化け物の愛敬が好きだ。
 特に妖怪は愛敬がある。妖怪のタイプにもよるが、人から見ると、少し見下している。動物的な妖怪に限られるが。怖くて強い妖怪でも、何とかなる。弱点があるためだ。
 また、天邪鬼を除いて結構素直で、その動きはシンプル。ここが動物的なのだ。ただの反応だったりするので。
 さて、ヨシワルは人に入り込んだ幻獣のようなもので、ご本人が沸かしている妄想のようなもの。外には現れないが、形はある。そのように見える程度で。実体があるわけではない。元がそもそもないのだ。
 善悪に関係する妖怪だとは分かるが、善い行いをしすぎたり、悪い行いをしすぎたりすると、現れやすい。
 善いことをやっているのに、そんな妖怪を沸かすのは理不尽だが、善行が必ずしも善行ではないことは周知の通り。
 そういった心理的な妖怪なので、地味。善いことばかりを過度にやる過りぎると、このヨシワルが出やすくなるのだが、これはヨシワルの、悪の方が活発になるためだとされている。
 まあ、バランスの問題だが、悪行に後ろめたさがあるように、善行にも後ろめたさがある。その天秤棒の真ん中にヨシワルがいる。バランスがよければ出てこない。
「先生、何ですか、それは、教訓ですか」
 担当編集者が困ったような顔で言う。そういう妖怪を考えてくれと言っていない。地味なのだ。それに抽象的すぎる。妖怪は動物的であるほど妖怪らしさが出る。見えないようなヨシワルでは妖怪辞典に載せられない。ビジュアル性がない。
「ヨシワル。後にヨシワル神として祭られたりすればいいのじゃがな。ヨシワル神社とか、ヨシワル寺のヨシワル仏として」
「神仏の中にも、善悪兼ね備えたタイプも居るでしょ」
「いや、神仏レベルではなく、あくまでも妖怪レベルなのがいい」
「民間信仰でありそうですね」
「仏の数は限られておるが、神の数は無限。だから妖怪も神になれる。しかし、ヨシワルは個人の中で沸き出ておるのでな。外からは拝めない」
「ややこしいですねえ。別の妖怪でお願いします」
「妖怪を作るのも善し悪しじゃ」
「はいはい」
 
   了

 

 


2022年12月29日

 

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