小説 川崎サイト

 

目出度い話

 
 下田は今朝も無事に目を覚まし、一日を無事終えた。夜も無事に寝入ることが出来た。この繰り返しだが、大晦日から元旦にかけてはいつもの夜と、いつもの朝とは一寸違う。
 かなり違う大きな区切りなのだが、月を超えるだけなら十一回やっている。そのことなど考えたことはない。今月無事に終わったとか新月を迎えることが出来たとかだ。
 月ごとに面倒な山があり、それを乗り越えるような話では別だが、そんなに大変な月超えは滅多にない。それに月単位とは限らない。
 しかし、新年を迎えるというのは、ただの新しい朝を迎えるよりも気になるところ。年を越えるのだが、今年の元旦の翌日が来年の元旦の朝なら間隔は一年分。これは単位として省略しすぎ。
 しかし、正月まで残り一日とかになると。もう詰め寄っているので、今日が昨日になるだけ。時間的には一日分。寝て起きれば、到達する。
 下田は年を終える行事とか、新年を迎える行事とかは特にない。初詣程度だろうか。行かない年もある。
 朝食は雑煮とおせち料理。しかし、年末から食べていたりする。おせちは小分けして売っているもので、重箱に入ったものではない。
 年越し蕎麦。これも蕎麦は普段から食べている。日付が変わる時間、夜食として食べていたりする。
 お歳暮も届かないし、また出したこともない。当然家を訪問したり、訪問されたこともない。これは家単位での付き合いだろう。
 この一年、毎日無事に寝入り、無事に起きていたのに大晦日に眠れないというようなことが起こるとしても、確率的には少ない。寝入れない理由にもよるが、楽しいことをしていて、目が冴えてしまい、眠れないとかなら問題はない。
 問題は朝だ。ずっとそのまま目が覚めなかったとすれば、既にあっちに行っているので、そんな経験があるのなら、もう考えなくてもいいのだが。
 寝ると意識が消え、起きると意識が戻る。寝起きの目覚め、これはパソコンが起動するようなもの。たまに電源が入らない場合もあるが。
 同じ一日越えでも。年を越えたというのは年単位。だから、昨日と同じことをしているのだが、受け取り方が違う。
 下田は新年を大晦日の深夜に迎える。日はそこで変わり、既に元旦になっているので、起きたまま正月を迎えたことになる。そこから普通に寝る。
 カレンダー的には元旦に寝ていることになるのだが。
 これはやはり陽だろう。太陽。日の出。初日の出。これで区切る。
 そして下田は大晦日の夜。過ぎゆく年はどんな年だったのかを、少しだけ記憶を辿る。その年の内のことなので、まだまだ覚えているが、二年前になるとおぼろげだろう。
 そして、元旦の朝に無事に目が覚めた時、買っていた祝い鯛をおかずに添える。これだけは元旦にしか手を付けないようにしている。この日だけ食べるために。
 要するに、普段買わないし食べないようなものを食べたいだけの話。
 目出度い話だ。
 
   了
 


2023年1月1日

 

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