小説 川崎サイト

 

運命の神

 
 世の中にはバチリと填まることがある。カチッとでもいいし、ピタリとくっつく場合もある。
 あまり詳しくない街を散歩した時など、ああ、ここに繋がるのかと、まるで偶然のように思えることもあるが、見知った町なら、そこに出ても当然のこと。偶然も奇遇も、気運もない。
 しかし、知らない方が驚きがある。これは謎が解けてはいないが、もの凄い手掛かりを得たような感じで、縺れた糸がほどけてくる。これは迷子になったわけではないが、一度通ったところに出ると、ほっとする。
 ただ、急いでいる時は、またここに出たのかと、がっかりするが。また、出やすい場所があり、流れやすい道。他の道との繋がりが多いのだろう。または、適当に行く道癖のようなものがあり、そこへそこへと寄せられるような感じ。
 見知らぬ場所や物。おそらく初めてだと思えるのだが、じんわりと見ていると、何度か体験したことのある場所や事柄だったりする。
 かなり馴染んでおり、勝手知っているものでも、別の場所で見ると、それに気付かない。知らないと最初から思っているためだが、何処かで見た覚えはある。
 何だ、ここだったのかと、思い出した時は、安心感も来る。初めてではなく、見知っているため。それなのに、最初は気付かない。ここにそれがあってもおかしくはないが、その可能性など考えていない。
 だから最初から別のものとして入るので、馴染み深いものでも、気付かない。
 それは、やっていることでも似たようなことが起こり、結局はこうなるのか、となる。それは既にやっていることだっりする。目新しいものだと思っていたのに。既に遠い昔に通過した事柄だったりする。
 神様が付けてくれた道筋とか赤い糸などに気付かないこともある。そういう神様を信じるわけではないが、運命の神などがいるのかもしれない。
 運命専門、赤い糸専門の。だから、これとこれはここで結びつき、ピタリとくっつくとか、バチッと填まるとかは、最初からもう決まっている出来レース。
 そのことに気付かないで、驚いたりするが、分かっていると、感動もないだろう。知っているので。
 神様が決めた運命があるとしても、その糸口が分かり、その道の入口が分かった場合、これはどうして分かったのだろうか。直感か、それとも勘か。
 これは神様が決めたことだと悟り、先へ進むと、そんなことはなかったりする。
 そう思い込んだ方が進みやすかっただけだが、これはそれなりに役立つだろう。
 ただ、偶然にしてはできすぎていることが、たまにあるので、中にはアタリもまざっている。
 
   了

 
 


 


2023年1月4日

 

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