小説 川崎サイト

 

無知の知

 
 簡単なことは分かりやすい。簡単なことだから。
 複雑なものは分かりにくい。色々なものが絡み合い、また深さがあり、一筋縄ではいかない。
 しかし、分かり難いというのは分かりやすい。中味は分かり難くても、分かり難いと言うことは分かる。要するに分かり難いと言うことが分かる。凄い要約だ。
 これは分かり難いとか、難解とか複雑であるとかは、その意味は分からなくても、ああ、分かり難いのだな、ということは簡単に分かる。
 つまり、分かり難いのだな、と言うことが分かるということだが、これだけでも理解の一つだろう。分かりやすいものではなく、分かり難いもだという程度の。
 それでは分かったことにはならないのだが、分かり難いと言うことだけは分かる。それだけで、充分だったりする。
「竹田君、また妙なことを言っているね」
「当たり前のことを言っているだけで、間違いではないでしょ」
「まあ、そうだが、それでは前進しない。少しでも中味が分かってこそ前進がある」
「前へ進むわけですね」
「一歩ね」
「しかし、難しいなあ、程度の一歩です」
「知らないことを知っているというのがある」
「知らないのに、知りようがありませんよ」
「私は知らないことを知っている。これは古典的な名言だよ」
「当たり前のことでしょ」
「クラッカーではない」
「ああ、前田の」
「クラッカーではなく、クラッシュだ」
「主任にも言い間違いがあるのですね」
「知っておるつもりで間違っていることがある。しかし、今のは言い間違いで、知らないわけではない」
「クラッシュってパソコンがおかしくなった時に使いますよね」
「一寸知っただけで、物知り顔で話す場合がある。これは皮一枚、表一枚程度の淺知恵。そのため、クラッシュしやすい。答えられなくなる。応答がおかしくなる」
「僕はそんなことはありませんよ。殆ど知らないことばかりで、知ったと思ったら、違っていたり、理解の仕方が悪かったりで」
「では竹田君は自分が知らないと言うことを知っているのですね」
「何も知らないわけじゃありませんよ。一寸は知っていますよ。先ほど言った分かりやすいか分かり難いなあ、程度ですが」
「自分は無知だが、その無知であると言うことを知っている。だからより知ろうとする。知っても知っても、まだまだ知らない」
「また古典の名言ですか」
「これを無知の知という」
「それ、馬鹿ですか、賢いのですか。どちらです」
「どう思う、竹田君は」
「自分が知らないということを知っているんでしょ。でも知っていることは知っていますよね。その知っているのレベルにもよるんでしょうが」
「それですよ竹田君。知のレベル。広さと深さです。これは何処までも続く深い井戸だとすれば、知ることなど無理。その無理だと言うことを知っているのですよ」
「そんな井戸、あるんですか。簡単な事もあるでしょ」
「いや、万物は皆簡単なものじゃない」
「それって、何でもありになりますねえ。全部が全部そんな状態なら、迂闊に知っていると言えませんねえ。それって、問いかけがおかしいじゃないですか。知っているか、知っていないかだけでいいんじゃないですか」
「竹田君、君は簡単に済まそうとしておる」
「そうですねえ」
「そのことを君は知っていますか」
「はい」
「知っておるのですか」
「はい、普通に」
「君は賢者だ」
「主任は僕のことをよく知っているでしょ。そんな賢い人間じゃないのを」
「そうだったな。私の話の持って行き方が悪かった。君は手強い
「馬鹿は手強いですよ」
「紙一重かどうかは差し置いて、まあ、好きなようにやりなさい。惑わされずにね」
「あ、はい」
 
   了


 

 


2023年1月7日

 

小説 川崎サイト