小説 川崎サイト

 

正月ボケ

 
 正月が明けてもまだ正月気分が抜けないわけではない。
 平田は平日と同じように元旦を過ごし、三が日も平日と変わらない。そのため、正月というのはあるが、あまり意識しないまま通過した。そのため、正月ボケはない。
 だが、年中ボケているような寝ぼけ人生なので、明けないのだろう。つまり年中正月ボケのお目出たき人。
 しかし、これが覚めると怖い。目覚めると怖いところがある。だから、ボケている方がいい。
 正月と平日の違い。休みだということもあるが、それなら大型連休もある。このときも連休ボケを起こすことがある。
 仕事や学校に行かなくてもいい。これだけで何処かのタガが外れる。一寸した社会性が。
 そして自分の領域が増える。休みの日はプライベートな時間が拡大する。
 そう考えると、平田はプライベートな時間を多く過ごしている。ただ、これはボケるのとは違う。元々に戻ったような感じだ。
 そのため、正月ボケはまた違うボケ方だろう。おとそ気分とか、寝正月で何もしないで、だらだらと過ごすとか。
 これはシャキッとしたところが抜けるので、ボケたように見える。
 しかし、平田は正月ボケなどはないので、そこは普段通り、だからいうことはない。いってみれば正月など無視。そのため、初詣も行っていないし、正月を迎える準備もしていない。
 そして、年が明けてしばらくすると、それがぼちぼち出始める。そういう暮らしぶりをかなりやっているためだろう。だから毎年それが出るのだが、いつも無視している。
 ただ、正月の準備ではないが、飾り餅の小さなのを買ったので、それを飾っていた年は、それは出なかった。
 これで、出るものが分かるようなもの。それは正月様。
 お月様の顔をした化け物ではない。神様だ。
 正月の準備をしていない年が殆どなので、決まって出てきて「これこれ」と言ってくる。「またまた」とかも言い出す。
 それは平田が分かるような姿。つまり白い着物で白髪白髭で杖をついた老人。本当はそんな姿ではないし、姿そのものがないのかもしれない。ただ、平田にはそう見える。まるで自分で分かるように作っているようなもの。
 この正月様。しっかりとした言葉は話さない。「やれやれ」とか「うむうむ」とかで、困ったような言い方。これが正月様の言いたいことで、みなまで言う必要はない。ただ、文句を言っているだけ。
 今年も、正月様が出たので、これも平年通り。いつものことだと、平田は無視した。
 しかし、目障りだし、気持ちが悪い。それに人には言えない。そんな正月様など、説明が面倒だし、それに正月様を見たなどと言えるものではない。
 それこそ正月ボケで、あらぬものを見たのだと思われるだろう。それ以前に何かの喩えとか、または冗談とか。
 それで、面倒なので、来年は飾り餅ぐらいは買ってこうと思った。
 
   了

 



2023年1月8日

 

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