小説 川崎サイト

 

イノシシの妖怪

 
 妖怪博士が、たまに行く御札貼りの仕事がある。その日は石川氏宅。一人暮らしの隠居さんで家族は近くのマンションに住んでいる。このマンション、石川氏の物件。
 石川邸は古い。平屋の日本家屋。敷地も広く、部屋数も多い。
 石川氏は産まれたときから、その屋敷に住んでおり、若い頃に出て、その後も何度か引っ越したが、仕事も終え、もう引き籠もってもいいので、実家に戻ったわけだ。
 古いので、取り壊しは時間の問題だが、石川氏が生きている間は、大丈夫だろう。造りがしっかりしており、それなりに修理はしてあるのだが、それ以上弄ることはもうない。これはきりがないため。
 そのため、壁の一部が落ちている箇所もある。これは物入れとして使っている部屋なので、覗き込まないと見えないほど。軽く板を張り付けてある。これは石川氏が張ったもの。
 妖怪博士はそこに御札を貼りに来る。ここから妖怪が湧き出すため、石川氏が張った板の上にその御札を貼る。
 それだけの仕事なので、楽といえば楽で、すぐに済んでしまう。
 家族が多かった時代の茶の間がそのまま残っており、そこが今は客間となっている。石川氏は庭に面した部屋を使っており、寝起きもその部屋。何間もあるが下手に使うと掃除が面倒なため。
 その茶の間で雑談が始まる。月参りの坊さんと一寸話すような感じだが、石川氏は妖怪博士と話すのが好きなようで、上等な茶菓子が用意されている。このあたりで有名な井の頭最中。
 しかし、二つも三つも食べられるわけではない。それに一つが大きい。
「やはり妖怪は内にいるものなのですか、博士」
「そうとも言えますなあ」
「じゃ、この屋敷に出る妖怪は私が沸かしているのでしょうなあ」
「さあ、それはどちらとも言えませんが、最近はどうですかな」
「あの御札を貼ってから減りました。しかし出るには出るのです」
「イノシシのような化け物ですね」
「そうです。よく見れば可愛い」
「可愛いタイプの妖怪でよかったですよ」
「そうですな。しかし、気味が悪い。そんなものが座敷でウロウロするんですから。ある日など、座敷の端にいる妖怪が私に向かって突っ込んできましたよ。体当たりですよ。しかし、何も感じなかった。私が透明なのか、妖怪が透明なのか、そこのところはよく分かりません。これも私の頭の中だけで起こったことなんでしょうねえ」
「はいはい、そうとは限りませんが、他に見た人はいないのでしょ」
「祖父が見ております」
「古い家ですからねえ」
「私も子供の頃に一度だけ見ました。そのあと、ここを出て、戻ってきたのは最近です」
「その間、この屋敷は」
「伯父が住んでいましたが、亡くなりました。そんな妖怪の話など、聞きません」
「はいはい、そのお話、以前にも聞きましたね」
「やはり私の頭の中だけにいるバケモノでしょうか」
「それを言えば、皆さん、私も含めて頭の中の世界で生きているようなものですがね」
「でも、同じものを見ている」
「そうですね。ただ、同じようには見えないか、またはまったく見えないか、その人にしか見えないものもあるのでしょうねえ」
「困った話ですねえ」
「石川さんには妖怪として見える。それだけですよ」
「特殊な能力でしょうか」
「いえいえ、そういうものがいるわけではありませんから。見えるも見えないもないのですよ」
「はあ」
「毎回ややこしい話ばかりで恐縮です」
「いえいえ、興味深い話です。私は好きです」
「まあ、妖怪でよかったですよ。別のものじゃなく」
「博士の御札で、出る回数が減りました」
「いえいえ」
「どうぞ、井の頭最中、もう一つ」
「いいい、いえ、あ、はい頂戴します」
 妖怪博士は二つは無理なので、持ち帰ることにした。
 
   了

 


2023年1月17日

 

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